【写真日記83】左脳型人間の戦い方

右脳と左脳という言葉に敏感だ。

右脳人間、感覚派なんてよく言われたりすると思うけども、
そういう人に僕は憧れる。

実際何かを考える時に、右側の脳を使っているのか
左側の脳をつかているのか、そんなことは分からないけれど、
なんとなく左脳を使っている気がしている。

まあこんなもんをあえて考えようとするくらいだから、
きっと左脳だろうが。

なぜ右脳派に憧れるかというと、正直左脳で考えても面白くないからだ。

計算や論理でたどり着く考えや発想(つまり左脳派)は、
遅かれ早かれみんながたどり着きそうな気がするため、
独自性とは遠いところにいそうなのだ。

平たく言うと面白みが無くなりそうで、
なんか想定内のところまでしかいけない気がして嫌なのだ。

一方で、感性、感覚(つまり右脳派)は閃きが多い気がする
(あくまで個人の感想です)

考えた本人も説明できない突飛でオリジナリティがあるため、
きっと少数派に属するだろうと右脳派に憧れを抱いたものである。

だが最近、そんなぼくの発想に独自性があると
好意的に評価してくれる方々が増えてきた。

うれしくもあるのだけど、自分ではありふれがちな
左脳思考と思っていたこともあり、
そんなに評価されるはずはないと変な感じだったのですよ。

だけどせっかく他人から評価してもらえているのであれば、
自分で気づいていない理由もあるだろうと現状と今後のために、
その理由を自分なりに考えてみた。

思ったことは、左脳的なアプローチに変わりはないが、
物事を深掘りする上でのスタート地点とその領域の幅が
異なるような気がしなくもない。

そんな風に感じた。

その際の自分の思考の癖を言語化するならば、
疑問、否定、猜疑、という言葉が当てはまりそうだ。

まあかっこよく言ってみたが、
天邪鬼というかへそ曲がりというかそんなことだろうと思うが。

でもまあそういう性格もあってか現状を疑うこと、分解してみること、
ルーツを辿ること、こうしたことには興味があり自分の発想の原点、
思考の癖になっているのではないかと思う。

あとは経験を積み、引き出しを増やすこと、
帰納的に発想のアプローチを育てていくことが自分の戦い方かなと思う。

そうすれば、左脳的アプローチでも右脳的アプローチに匹敵する
独自性を持たせられることは可能かもしれない。

まあ、帰納的ということは説明はできるから、左脳も悪くはない、
そういう作品向きかもしれないなあ、なんてと思う。

酔っ払って書いてみたが、こんな感じでしょうかね?

シラフの自分よ。

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