メゾン刻の湯の書評らしきもの〜序列ではなく役割の世界へ〜

本来的に答えのない世界において、決められないたくさんの選択肢があること、自分だけのもやもやに悩んでしまうことって逆にすごくいいことなんじゃないかと思う。1つしかないとされる正解を追いかけるよりもずっと健全だと思う。小野美由紀さんの「メゾン刻の湯」を読み終えて、そんなことを書きたくなったのだ。

メゾン刻の湯の作者について

小野美由紀さんは僕の中で重要な存在となっている、スペイン巡礼の後押しをしてくれた人が小野さんである。一度だけお会いしたことがあるだけで、現代社会らしくスマホの向こう側の人であって、まあ言ってみると住んでいる世界が異なる人なのだけど、なんとなく親近感を持って見ている。

作家ということを鼻にかけるでもなく、SNSで拝見するうえではご本人はむしろ不安でいっぱい?なのか、「それ話す必要なくない???」と言いたくなるくらいに、全部包み隠さず話しちゃう、なんというか裏表のない人だという印象。

そんな彼女が書いた初の小説なのだからそりゃあ買ってみるしかない、早速読んでみたということ。

僕としては彼女は才能に愛されているように思うし、「え、不安?そのまま突っ走しっちゃえばええじゃない」と思ったりもするのだけど、そんなことは外野が想像はしても口にだすことでもない。(もちろん愛ある激励は別だろうけども)ご本人は、きっとそんなことは実体験を通じて嫌ってほど感じてきている、そのことはこの小説、メゾン刻の湯を読めばわかる。

肝心の作品の感想としてはネタバレしちゃうともったいないので、細部には触れずに全体の感想だけ記しておくことにする。

たくさんの自分に出会えるお話

社会に馴染めない主人公のマヒコを通して、現代の社会の有り様をどこまでも等身大で描かれていて、社会に対する不満というより、みんなが心のなかで持っている小さな「?」や声にならない「もやもや」を代弁してくれているそんな物語。活字で描かれた書籍の中の「僕達」がが頭の中で映像となって動き出す。会ったこともない、存在もしない登場人物たちの声が聞こえてくるし、彼らの熱量が伝わってくるようだった。

小説という形式をとっているので、主人公という役割は1人だけど、その他のメンバーは主人公を引き立たせる役割を与えられたいわゆる脇役ではない。それは僕らの人生でも同じことで、僕の人生を生きている僕はもちろん僕の物語の主人公だろうけど、今日帰りがけに寄った近所のスーパーでカゴいっぱいに商品を詰め込んだおばあさんだって彼女の物語の主人公だし、そのかごの商品をレジ打ちしてるお姉さんもまた異なる物語の主人公だもの。色んな主役たちがいる世界で僕たちは生きている。

物語の主人公であるマヒコを取り囲む人々はクセのある人生の主役たちで、だからこそその彼らを形成する少しずつに自分自身を感じることもできる。いろんな自分が作品の中で違うキャラクターとして命を与えられ活動している感じだった。1人の人間ってのは実に複雑(面倒)にできてるんだろうなと思う。

序列ではなく役割の世界へ

見えない空気、同調圧力がはびこるこの社会において、そんな自分をさらけ出すということはやはり難しいのが現実だ。言いたいこと、思ったこと、やりたいこと、みんな自分の中に溜め込んでしまう。

外の空気は読めても自分の中の空気は読めてないのかも、もしくは読めていてなお気づかないふりをしている。何かの拍子に引火しちゃうかもしれないメタンガスが体中を駆け巡っているんじゃないだろうか。そんなあれこれをうまく押さえ込むすべを持つ人間が現代の正しい「大人」の定義なんじゃないか。

そんな中で、沢山の人に自分を見いだせるというのは案外いい考えなのかもしれない。異物を排除することにおいて正しさを確立させようという向きのあるこの社会において、すべてが異物であるならば排除する必要がなくなるんじゃないか。役割こそ必要になるけども序列は必要ないんじゃないか。そんなふうに思うようになるのである。

するととたんに楽になる。いろんな色を持つ僕たちが無理やり赤一色に染まる必要なんてない。不得意は事は任せ、得意なことを引き受ける、みんな幸せに最高の生産性が生まれるだろう。そう考えることはできないだろうか。

「ぼくはただの◯◯屋だ」

物語が進む中で、主人公のマヒコはとてつもない成長を見せてくれる。レッテルを貼られることが死ぬほどいやっだった自分に対し、自分自身でレッテルを貼ろうとするのだ。自分が自分にラベルを貼る、スゴく勇気がいって、スゴく潔くて、スゴく納得するシーンだ。他人に貼られるのと自分で貼るのとでは死ぬほどに違う。

「ぼくはただの◯◯屋だ」と声を大にして言ってみたいものだ。

「こうしなければならない」から「こうでもいいんじゃない」への転換期の社会、様々な角度から謎の正義の矢で傷つけられるこの時代において、指導者の立場の人にこそ読んでもらいたい本だと思う。人なんて所詮分かり合えない赤の他人なのだから、そこを出発点に寄り添うしかないのだもの。

小野さんにしても「ただの」物書き屋だ!と言ってると思って、これからも付かず離れずの距離感で応援したい。そんな作家さんなので、気になった方はぜひご覧くだされ。

読み終えたあとは何というか春一番が吹いたような、そんな爽快感すら覚える作品ですよ。

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