写真から考える「時の変遷」と「オリジナリティ」について

先日、「写真からの気づき」というトークイベントに参加していました。(写真はNGとのことでトークイベントの写真は掲載できず、残念。。。また、この日は僕の31歳の誕生日でしたので、記事に残しておこうと思います。)

よわよわカメラウーマン日記の本日の浮遊で有名な写真家、
林ナツミさん

バルテュスの絵画を写真に置き換えることでバルテュスを考察する写真家
原久路さん

のトークイベントでした。

写真が好きな私としてはぜひとも聞いてみたいイベントでした。写真を撮るポイント、狙い、アーティストとしての感性などぜひとも聞いてみたくて、、、そして、本来作品の評価や解釈は見る人に委ねる立場である彼ら自身が自分の作品をどのように語るのか。

彼らのトークの内容についての多くを占めていたのが、「時の遷移」「オリジナリティとは何か」について。

▪️写真はその時、その瞬間、その場面を切り取る道具?

写真はその時、その場面を「瞬間」で切り取る道具だと思っていました。

しかしその瞬間を切り取ったはずの写真で、むしろ瞬間を切り取ることによって、時間感覚を麻痺させるような自然な違和感を表現できているのがお二人の作品だと思います。(当然シャッタースピードを変えるとかそういう話ではないです)

林さんは「一瞬」のメタファーをご自身がモデルとなって「ジャンプ」で表現しています。このジャンプの一瞬を写真で切り取ることで、浮遊しているように見える写真を作っているわけです。時間感覚を麻痺させ、普段見れない光景を写真を介することで可能にしています。瞬間を切り取ることで、継続性や持続性といった状態を表現されているのは何とも不思議な感覚です。

一方の原さんは、ピカソをして20世紀最後の巨匠と言わしめたバルテュスの絵画を日本風に置き換え写真で表現しています。歴史を超えて、また西欧と日本という文化、風習の差を超えた未知のチャレンジ。バルテュスが描くモデルのポーズはとても違和感があることでも有名です。絵はともかく写真では時間的にモデルが持たないような姿勢をしています。それがゆえにその姿勢、特徴的な目線を写真で表現することでとても奇妙な違和感を感じ、写真が写真ではない、また古いようで新しい感覚に陥ります。

もちろんこれだけの話ではなく、そのほかの話もあっての解釈ですが、お二人の作品から、瞬間を切り取る作品に時の流れ、遷移のようなものを感じました。動かないはずの静止画から、流れる時を感じることで、時間とは何か、過去、現在、未来とは何かを考えなおすきっかけをもらったような気がします。

▪️オリジナリティとは何なのか?

また林さんはご自身がモデルをやっていることもあり、シャッターは原さんがきって撮影されているとのことです。一方、原さんはそもそもバルテュスの作品のオマージュであるということもあり、お二人ともにオリジナルな作品(自分の作品)とは言えないのではないかと、言われることもよくあるそうです。

ここで改めてオリジナリティとは何かということについて考える時間になりました。新たなアイデアは既存と既存のアイデアの組み合わせからしか生まれないという言葉もあるので、そういう意味ではお二人の作品は間違いなくご自身で生み出されたものだと思うのですが、こと作品を世に出すアーティストとしては、パクリではないにしろそう思わない人もたくさんいるようです。

ぼくはこの論点に対して、思うところががありまして、「作品にかける想い」と、「細部への拘り」です。

写真をはじめアートの特性を考えるうえで、本質的に誰が作ったかは関係なく、良い作品は良いですし、伝わる作品は伝わるんだと思っています。これはまさに作品にかける想いが形になったものだと思います。死んでから売れる画家がたくさんいたり、きっと感性はまるで違う何万年も前の洞窟壁画が我々に与える影響を考えるとどうでしょうか。究極的には誰が作ったのかは、あまり関係なく、作品自体のエネルギーが我々を魅了するのであれば、その想いが人を動かすのであれば、それ自体がオリジナリティと言えるのではと思います。

同じ料理を作ってもらっても、盛り付け方ひとつ、選ぶ器ひとつで食べたくなるか、ならないかは大きく変わってきます。作ること自体が目的ではなく、誰かに喜んでもらいたい、この気持ちを伝えたいということから、より高みを目指す。ゆえに細部に気を遣え、拘ることにつながる、結果的に作品の完成度が上がる、もしくは全く別のものに見える可能性すらあります。この細部への拘りは作品を作る上で重要な指標だと思っています、8割までは2割の時間で、残りの2割を仕上げるのに8割の時間をかける。8割のもの時間を割いて、思考錯誤したものをオリジナルと言わずに何を言うのかと、表面に見えるものだけで判断できないところに難しさと、それゆえに面白さがあると思います。見る人を選ぶのがアートだなあと改めて思います。

そういう意味でアーティストにとっては何を表現するのかは当然大事だけど、何を見据えて、活動に取り組むのか、そのためにどこまで拘りを持てるのか、(林さんは怪我をしても100回でも200回でも飛びますし、原さんは服や小物など特注で何回も作りなおしたりするそうです)これがオリジナリティにつながるのではと考えています。誰がシャッターを押すか、対象が何であるかなんてとても小さなことのように思います。

翻って私たちも、自分自身の人生をアートするという立場において、今の一瞬の想いを一瞬で終わらせることなく、過去、未来と関連付けること、また小さなことに縛られるのはやめて、もっともっとオリジナリティの追求を行うことを忘れてはいけないなあと妙に納得してしまった31歳の誕生日となりました。

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