本質にアプローチするためのキュビスム的試み


ものの見方は様々。

近くで見るのと遠くで見るのでは全く異なったものに見える。

右から見るのと左から見るのも違うし、上から見るのと下から見るのも違う。

正面から見るのと背後から見るのも当然違う。

ある人から見れば神様!と思われる人だって、また別の人から見れば死ね!と思われる人もいる。

ほっぺたスリスリするくらいに可愛い猫も、一方では見るだけで嫌だと思う人だっている(信じられないけども)

わかっちゃいるが、それらは本質的には同じもの、見え方が違うだけ。でもその見え方が異なることで、自分の意見を聞き入れてもらえないことや、否定される事だってある。だから苦しんだり、思い悩むこともあるし、争いごとだって耐えない。

そんなときに、みんなが同じように見えてみたらどうだろう。誰が見てもこう見えるという本質的な表現がなされたならばどうだろう。

右から見た顔も左から見た顔も、良いところも悪いところも対象を分解し、再構築するキュビスム的発想で1つに閉じ込めてしまう。そうすればみんな物事を同じように見れるんじゃないか。そうすると争いや悩みって減らすことができるんじゃないのか。

これは、誰が見ても同一的に切り取れるツールであるカメラを用いた写真だからこそ実現ができるものでもあると思う、絵は人の手が入りすぎている。無機質に誰が撮っても同じように切り取れる写真を再構築することで、属人的な要素をできるだけ取り除き表現する。

分断された間を引っ剥がしてつなぐ役割をこの方法で模索しようと思う。


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