荒木経惟と深瀬昌久のセルフポートレート比較


鏡やショーウインドウの前を通れば、写り込んだ自分の姿を見る人は多い。人は無意識に自分の姿を探しているということだろう。実在するものの中で、唯一自分自身の目で見れないものが「自分の姿」である。最も身近で最も遠い存在が自分自身と言えるかもしれない。

この自分自身を表現する上で、欠かせないのがセルフポートレートだと思う。今回はこのセルフポートレートをテーマに取り上げて進めていく。

肖像画とポートレート

写真がない時代、時の権力者たちは肖像画を求めた。それは時に富の象徴や布教活動、戦士たちへの鼓舞などその用途は様々であった。しかし、そんな用途とはまったく別の次元でやはり自分自身の姿を確認したかった、後世へと残したかったという欲求があったのではないかと想像する。

さて、写真が生まれたことで、肖像画の役割はポートレートがとってかわることとなった。瞬間を切り取り、自身の姿をそのまま記録として残しておけるという意味では、まさに完璧な表現媒体が生まれたと言える。写真家たちが時代に求められたのは、その人物を忠実に、かつ最も魅力的な側面を引き出すという仕事であった。

セルフポートレート

ただし、時代が流れ、誰もがカメラを手にするようになると、ポートレートの価値も変化することになる。多くの写真家は自分自身の表現を追求する一方で、セルフポートレートを撮影している。

しかし多くの人は俳優やモデルといった自分自身を商品とする一部の人を除いて、他人の姿にそこまで興味を抱きはしないだろう。そういう意味で本来セルフポートレートというジャンルはとても小さな枠組みの中でしか成立しないと思う。しかし、そんなセルフポートレートというジャンルにおいて、注目すべき二人の写真家が日本にいる。

「荒木経惟」と「深瀬昌久」だ。この二人は、セルフポートレートを撮り続けた写真家と言われている。同時代を生きた写真家である二人を考察することで、セルフポートレート、ひいては写真表現の在り方について考えを深めていきたいと思う。

テーマ「私写真」

まず共通点の一つ目である。荒木と深瀬ともに撮影者のプライベート(身近な景色)をテーマとして取り上げ作品化していく「私写真」という切り口で撮影している。

荒木も深瀬もあくまでも自分の目の前の景色を撮影しているが、二人が撮影するそれらは今日、まるで自分自身を探しているかのように解釈され浸透するに至っている。つまり彼らが切り取るのは彼らが見ている世界ではなく、彼ら自身が滲み出す世界なのである。

また更なる共通点として、題材にお互い自身の妻を撮影している。荒木は陽子を深瀬は洋子を(奇しくも同じ名前である)撮影した作品が彼らの代表作となっている。これらの作品についてもう少し深めていく。

荒木の陽子

荒木の撮る陽子は笑わない。新婚旅行でさえ笑っていない。無表情、またはどこか不機嫌な表情を浮かべている写真がほとんどだ。(それは荒木が指示していたのか、写真家としての夫を持つ本人の覚悟の現れなのか、それともその他の理由なのか、真意はわからない)

だが、その効果はテキメンで、通常一般人が撮る被写体が全面に現れた作品は風景写真やポートレートというジャンルに属することになる事がほとんどだが、無表情に写る陽子はそれを拒絶しているように感じられる。事実ポートレートとしてくくるには違和感が残る。


荒木作品:センチメンタルな旅より

感情が感じられない人を目の前にすると、それは一人の人間というよりも、一体の人形という様相を帯びてくる。私は、荒木は感情の読めない彼女を撮ることで陽子を陽子としてではなく、そこに1人の写真家がいたという痕跡を入れるための人形として撮影したのではないかと想像するのである。私が、彼の撮る陽子は形を変えたセルフポートレートと言って差し支えないと思うのはそういう観点からである。

深瀬の洋子

次に深瀬である。彼も「洋子」という写真集を出しており、共に過ごした数年間の記録を作品化している。ただ、彼の作品は荒木が撮った陽子とは異なり、その時々の彼女の感情が全面に表現されている写真が数多く記録されていることが確認される。

しかし数年前、深瀬の個展「救いようのないエゴイスト」が開かれた際、当時の妻であった洋子は深瀬をこう語っている。「私をレンズの中にのみ見つめ、彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった」残された写真は紛れもなく彼女を写した写真である。にも関わらず最も身近な存在であるはずの妻(被写体)をして、そのように語らせるほどに、彼は被写体に自分自身を投影していたのだった。


深瀬作品:洋子より

あわせて深瀬自身も生前、「いつも愛する者を、写真を写すという名目で巻き添えにし、自分も含めて誰も幸せにできなかった。写真を撮るのは楽しいか?」と自らの過去を振り返ったという記録がある。まさしく洋子のことだと解釈できる。苦しみや葛藤の中で、あくまでも深瀬は自分自身を見出すために写真を撮り続けた。こちらも紛れもなく形を変えたセルフポートレートなのである。

荒木、深瀬の二人の相違点

二人はあくまでも自分以外のものの中に自分という痕跡を残す写真家である、この点は共通している。ただ、この共通点の中に、相違点も見出すことが出きる。具体的には、荒木は被写体とともにいるはずの自分、深瀬は被写体の中に見いだす自分といった感覚だ。荒木は客観的、間接的であるが、深瀬は主観的、直接的なイメージと言えるかもしれない。

それは作品自体のコントラストからくる迫力や寂寥といった画面全体の雰囲気であったり、被写体の目線や動きによる躍動感から汲み取れるものかもしれない。しかし、最も大きいのは被写体との関わり方であろう。撮られる側の被写体の捉え方は荒木と深瀬の間で真逆とも言えるものである。

荒木の妻陽子は自身の著書「愛情生活」の中で次のコメントを残している。「彼は私の中に眠っていた、私が大好きな私、を掘り起こしてくれた」一方、深瀬の妻洋子は先述したように「私をレンズの中にのみ見つめ、彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった」というものである。語尾に注目すれば捉え方は一目瞭然であろう。そうした関係性から紡がれる作品からは、異なる印象を受けるのは当然である。

表現と社会背景

絵画も写実主義から抽象主義へと流れが進んだように、写真においても表現に変化が見られるようになった。冒頭で述べたように、私たちは他人には興味を持たないが、自分には興味がある。深瀬の顔を見ても私を想起させることは難しいが、彼の鴉には私も少なからず自分自身を重ねる余地を感じるのである。

一方で、深瀬に対する鴉が荒木の場合は荒木自身である。荒木の写真には荒木本人が写り込んでいる作品をよく見かける。これは「荒木であって荒木ではない、アラーキーとしての記号である」というような解釈が示されている(写真概論)誰もが入りこめて、そこに自分がいることを想起させることができる入れ物(例えば旅先に置いている記念撮影用の顔パネルのようなものかもしれない)なのだろう。


深瀬作品:鴉より


荒木作品:わが愛洋子より

こうした写真作品が求められるようになったのは、技術の進歩によってカメラが普及したこと、また社会環境の変化などによって、肉体的な外側の自分と精神的な内側の自分とが切り離されてきたことに関係してくるのではないか。もはや自分自身の顔(外面)を見ることは珍しいものではなくなった。だが自分の内面を見ようとした時、途端に人々は手段を失ってしまう。煙のように掴みきれない私たちを形作る手段として彼らの作品を利用しているのではないかと考えるのである。

奇しくも荒木経惟の「わが愛、陽子」、深瀬昌久の「洋子」の初版は同じ1978年であった。当時の世の中はまだまだ物質的なものが求められる社会ではあったが、そんな社会へのアンチテーゼ的な意味でこれらの作品は作られたものだと言えはしないだろうか。

荒木は2017年77歳となり、大小合わせ15の個展を行っている。また深瀬は代表作「鴉」が2017年再販、また2019年KYOTOGRAFYにて展示されることになっている。物質的に満たされ、精神的で本質的なものを求めようとする我々が、彼らに再度注目しようとする動きは至極当然のことなのかもしれない。彼らの作品は彼らのセルフポートレートであり、私たちのセルフポートレートでもあるのだ。

参考:
『洋子』朝日ソノラマ(1978年)
『鴉』蒼穹舎(1986年)
『わが愛、陽子 』朝日ソノラマ(1978年)
『センチメンタルな旅』(1971年)
『愛情生活 』角川文庫(2017年)

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