主体性の問題は新人ではなく、教育側の問題

こんにちはいむりんです。僕はこれまで企業研修や人事関連の仕事に携わっていた経験があります。

企業では毎年4月に入社する新入社員の受け入れの準備、育成計画を立てていますし、現場配属されれば上司は部下の行動を見ています。今日は新人教育の話をする際に必ずといっていいほどよく聞く「主体性」の正体について綴っていこうと思います。

主体性は求めるものではない

毎年新人研修に関して人事の方とお話するのですが、キーワードはここ数年決まっています。「主体性」です。どうやら現場からすると、言われた事だけではなく、「自分から自発的に動いてもらいたい」という気持ちが強いようです。

念の為、この主体性ですが、辞書には「自分の判断のもとで、行動すること」みたいな感じで書かれています。つまり自分で考えて自分で動くということですね。おおむね皆さんが考える主体性もこんな感じだと思います。

この主体性、何も社会人になってからの新人教育だけの話ではありません。例えば、保育園の園児もこの主体性が発揮できるように保育されています。保育での主体性の伸ばし方も社会人の新人の主体性も根本的には同じだと思います。

ならば、むしろこの主体性というキーワードは育てられる新人よりも、現場で育成する側にまわる担当者にこそ意識しておいてもらいたいと思います。主体性は求めるのではなく、発揮させてあげるという意識が近いでしょうか。

主体性とは心のうちにある想いを表出させる事

ちなみに、ある先生から教わりましたが保育での主体性というのは「心のうちにある想いを表出させる事」だそうです。心の中で何かやりたいと思った事を「実際に行動に移す」「口に出す」などがそれにあたります。

ですので、本質的に「主体性」を教育によって植え付ける事というのはおかしな話で、そもそも内にある想いを出しやすくするため援助をしてあげる事が必要なのです。

新人に主体性をもってもらいたいのであれば、新人に主体性について教育するのではなく、教育担当者に対して、新人が現場で能動性を発揮できるように支援する仕組みを作る等、主体性を表出させる方法を学んでもらうということが求められます。

知らない間に、我々(教育者、上司)側が主体性を閉じ込めてしまうような関わりをしていないでしょうか?そしてできないからといって仕事を取り上げたりしていないでしょうか?

取り上げる前に、まず支援する、その前に援助する。何事も手を貸さず、できるところまでやらせてみる。熱い物に触ると火傷することを経験から学ぶのです。

主体性が育つ場作りを意識する

今はビジネスにもスピードが求められますが、基礎の教育はやっぱり小さいうちにやっておかないといけません。社会人1年目はまだ赤ん坊です。赤ん坊に箸を使って、こぼさず飯を食えというのは無理な話。まずは離乳食を食べて、やっとスプーン、フォークを使ってという順番があります。

そんなスピードでビジネスやらなきゃ回らないのはどこか仕組みがおかしいということ。みなさん、根本を見直して気長に育てる、育っていく土壌を形成していく。そういう観点が必要かもしれないですね。

主体性について考えてみるのも良いかも知れません。

主体性は教えられるか (筑摩選書)

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