Say hello to Terminator〜#MeToo返しの行く先は人がいない世界〜

あんまり時事ネタは書かないけど、スゴくもやもやするので書いておくことにした。最近ネットで見ない日はない「#MeToo」(はあちゅうさんの記事がすごいことになってますね)だけど、この声明に対して「お前がゆうな」という返しに関してとても嫌な気分になる。これは「#MeToo」にはじまったことではなく、以前から度々問題視されてきていた。この社会に対して声を上げることに対してもう動物的な反応で、重箱の隅をつつくようなアクションをとる人たちがいること全般に対して辟易してる。

自由な言論の場としてのインターネットであるから、声明上げるのも、否定するのも、罵詈雑言を浴びせるのもまあ自由っちゃあ自です。感じ方も基準も人それぞれだし、Aさんだと体触られてもセクハラじゃないけど、Bさんには声かけられただけでセクハラだとかもある。ハラスメントの境目はすごく曖昧ですし。

だから今回の「#MeToo返し」に関しても、やっちゃいけない、言ってはいけないという規制をすることはできないし、間違ってるとも言えない。でもでもでも、そうもうただただ気持ち悪いのです。理論でなく生理的に気持ち悪い。

ネットだけでなく、こうした重箱の隅を突っつき評論家はリアルな世界にも存在する。何かアクションを起こそうとした時に、考えられるリスクを念仏のように唱えて、「だから辞めましょう」である。飲み会の幹事レベルの話でも、「◎◎な企画を立てたので協力して下さい」と言ったら「このような企画は☓☓なリスクがあるから辞めるべきです」そして代替え案も持ってこない。

そこにのみ自分の居場所を見つけて、穴を見つけることによってのみ生きていける人種がいる。小石レベルに途方もない理屈をつけて、大きな脅威っていうブランディングをしちゃって大岩に見せかける。大岩への対処が俺の使命だと。小石に脅威ブランディングってどんだけご苦労さんなんだ。無駄でしかない。

話がそれちゃったけど、失敗から学んできたのが日本人だと言われることもしばしば、骨だって骨折したほうが強かったりする。経験学習した人に対して、未経験の人が「知ったかぶり」をして上から目線。一番質が悪い、まずは経験してくれって思う。ヤカンが熱いことを知ってるのは火傷したこと(に準ずる経験)があるからです。そうなると、意地悪した事がある人は優しさを語れないし、離婚した人は結婚を語れなくなる。もうなんか人を傷つけたことがあるなら、人助けしちゃいけないくらいのところまでいきそうなもんです。

物事自体には、良いも悪いもなく、それを意味づける誰かがいるから、どちらかに転ぶわけですよね。左から見るか右から見るかで、マイナスに見える可能性があるなら、それならやっぱり何もできない、それなら何もやってない方が発言できるわけです。そして発言した瞬間に、新たなる重箱の隅つっつき師にやられてしまうわけです。

発信することを否定された末の我々の末路は、外界との関わりを遮断され、家の庭にでも首輪でつながれたうえに、耳栓されて、目隠しされて、口にはガムテープ、手足が縛られるのが最終形態ってことになりそうです。間違わない、失敗しない人間はもうもはやロボットではないか。これからさらに人のロボット化がすすめば人間として生きる意味とは何なのでしょう?生まれてくる必要もないように感じます。もうターミネーターに支配されるスイッチはこうした人間性としての活動の否定から始まるのかもしれません。大袈裟すぎますかね。

自己保身と虚栄心だけで構成された残念丸がのさばってる世界からは脱したいなと思う一方で、こうしてつらつら書いてる内容も誰かにとっては重箱の隅突っつき師となっていることもありえるんでしょうから、白黒つけることはできませんけど、でももう少し健全なグレーというものを求めていく姿勢でもって生きていきたいと思いますね。

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