【京都芸術大学/学芸員課程履修レポート公開】文化研究1

こちらでは、通信にて京都芸術大学の学芸員過程で履修したレポートをアップしています。

今回は学芸員過程の科目の1つである【文化研究1「子ども」の文化や「若者組」など、近代以降に作られた心身の枠組みの考察」】についてです。  

京都芸術大学の学芸員過程選択科目:文化研究1のレポートテーマ

学芸員過程の選択科目【文化研究1】のレポート提出課題における、シラバス記載の到達目標は次のようなものです。そのまま引用します。

 日本の近代は、政治的な変革だけでなく、人びとの思考や身体にもきわめて大きな変容をもたらしました。明治以降の日常生活に密接に結びついた重要な変化を取り上げ、それらが人びとの心身をどのように再編していったのかを学びます。 さらに、そうした近代的心身に批判的に向き合い、今・ここの私たち自身の生き方を問い直す方法を考えます。  大きな目標は、私たちの住むこの現代社会のあり方について、批判的に考える力を身につけることです。  
・・・いきなり大きく出過ぎたかもしれません。漠然と現代社会を考えるといっても、どこから手をつければいいのかわからず、途方に暮れてしまいますね。そこでこの授業では、私たち自身の身の周りのもの(ヘアスタイル、学校、祭り、歌、信仰など)に注目します。 ごくありふれた、当たり前のように存在しているものたちに、どのような歴史が詰まっているのか、それが社会全体のあり方とどのようにつながっているのかを学び、私たちと社会の関係を問いなおすことを目指してください。 京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)シラバス2021から引用

『民俗文化論』(テキスト)という書籍を読み、以下の2設問についてレポートを記載していきます。

【設問1】 明治・大正時代の女学生(オトメ)たちは、雑誌などのメディアを媒介にして、どのような女学生文化を育んでいたのか、それ以前の村社会における共同性との違いに留意して述べなさい。(1600字程度)

【設問2】 巫女の口寄せの習俗と、靖国神社の英霊祭祀とを比べると、死者の弔いのあり方としてどのような違いがあるのかを説明しなさい。(1600字程度) 京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)シラバス2021から引用

 

 

【設問1】 明治・大正時代の女学生(オトメ)たちは、雑誌などのメディアを媒介にして、どのような女学生文化を育んでいたのか、それ以前の村社会における共同性との違いに留意して述べなさい。

まず女学生文化の比較対象となる村社会の共同性について述べる。村社会のコミュニティは現実社会を運営していくために組織化・役割設定など合理的に機能しており、共有地の存在とその利用、相互扶助の協同労働が普通でそれらの活動を通して、共同体としての意識が形成されていた。中でも年齢階梯制度に基づくムラの機能を補完するための年齢集団が機能しており、特に男子だけの若者組は、土木工事や共有地の整備、ムラ内の警備や消防、災害救助など若者特有の体力をムラ社会に提供することで影響力を増す傾向にあったようである。このようにムラ社会においては男性中心の共同性が生まれることは自然の流れであった。

このような男性中心社会の一方で、特定の裕福な家庭で生まれ育った流行に敏感な女学生がメディアを媒介にして女学生文化(以降はオトメ文化と記載する)という女学生独自の文化を育むことになった。具体的には彼女たちが雑誌等で使い始めた独特の言い回しであるオトメ言葉での相互のやりとりである。

このオトメ文化が成立した背景にはメディアが誌面であったことが大きいだろう。当然紙面は文字情報が重要となるため、文章や詩のセンスを引き立たせるため、また通常の言い回しでは表現しきれない世界観を構築するためにオトメ言葉が発明され、発展したと考えられる。ちょうど平安時代に和歌を読むために仮名文字が発明されたことに近しいのではないだろうか。そう考えると、この文字はそもそも現実世界においてのコミュニケーションで使用することを前提とはしていないと考えられる。社会全体ではなく共通の視点があり、価値がわかる対象に向けて使用される言葉であることから、文化自体も極めて閉鎖的なものとなっている。

また文化形成のフィールドが誌面というメディアであることは、今で言えばSNS(ただ、ツイッターのようにあらゆるタイプの人がそれぞれの目的のために使用しているものとは異なり、SNS黎明期のサービスのmixiにおける同じ趣味嗜好の人が集まるコミュティに近いだろう)のように顔や素性がわからない立場で発信できるということであり、確実性や現実性もそれほど重視されていなかったとも考えられ、現実を生きるムラ社会とは大きく異なるポイントだと言える。

オトメ文化においては、自分自身の思う自由、発信する自由が守られることが重要であり、現実社会での繋がりには重きを置いていないことがうかがわれる。それはオトメ言葉の中でも優美な表現である「遊ばせ」が表しているように感じられる。オトメ文化のコミュニティに属していた者は、この時代に女学校に通うということで富裕層中心で構成さ育ちが良かったことも関係しているであろうが、「遊ばせ」という表現は命令形でありながらも、結末を相手に任せるような軽やかさがある。気持ちの強さを表現するも、あくまでも相手に判断基準を持たせること、つまり意思表示することが第一でその後のリアクションについては必ずしも期待していないという雰囲気を内包しているように思うのだ。

オトメ文化は男女同権、男女共学となって女性の発言権も認められるようになるにつれ廃れていったことが、見方を変えるとその文化を保つ必要がなくなったのとも考えられる。オトメ文化とは、女性のポジションや視線が厳しかった時代において、オトメたちが自由に意思表示できる場、女性としてのアイデンティティを確認する方法であった。

リアルな社会において他者への影響力、権力の中で生きていくのがムラ社会の特徴である一方で、限られたコミュニティの中で個人の表現を発露する場としての閉じられた文化がオトメ文化であった。つまり徹底的に現実に即した共同体がムラ社会であるならば、オトメ文化はある種の現実逃避の場所であったとは言えないだろうか。

本文総文字数1556

【設問2】 巫女の口寄せの習俗と、靖国神社の英霊祭祀とを比べると、死者の弔いのあり方としてどのような違いがあるのかを説明しなさい。

「弔い」という言葉の意味には、 人の死を悲しみ、遺族を慰める、死者の霊を慰めるという意味で使われている。この意味に基づいて考えると巫女の口寄せの習俗と、靖国神社の英霊祭祀は大きく異なる。

まず靖国神社の英霊祭祀について触れる。靖国神社はもともと戊辰戦争で戦死した軍人をまつるために招魂社として創建され、その後靖国神社として戦没者を祀る神社となった。世界への侵略戦争をすすめる当時の軍部は、天皇への忠義を尽くして戦死すること、靖国の「英霊」になることが最大の美徳であるという流れを作っていたことからも、靖国神社でいう死者の弔いはその死者や家族の慰めのための儀式ではなく、戦争に国民を駆り出すためのプロパガンダに扱われたという見方ができる。

「英霊」は藤田東湖の漢詩「英霊いまだかつて泯(ほろ)びず、とこしえに天地の間にあり」の句から取られているが、この句の通り、英霊は死んでも霊は現世に残るという意味が内包されている。家族や大切な存在の近くにいられるという良い意味での解釈はもちろん可能だが、戦没者は死んでなお、天皇に忠誠を尽くせという皇国思想のもとで祀られていたため、戦争が終わるまで成仏することはなかったという見方もできるのではないか。つまり靖国神社の英霊祭祀は生者である天皇や軍幹部のために、死者を利用しており、弔いという意味で使われることは正しくないのではないだろうか。

一方で、巫女の口寄せは、地域によって様々ではあるが、生者が死者のために行動するための儀式であるようだ。口寄せの時期も亡くなってすぐだと成仏できない、この世に執着するなどの理由から一周忌以降に行うなど、生者ではなく死者の都合を優先して行うなどの配慮が見られることからも死者が中心になって考えられていることがうかがえる。

口寄せは生者が死者に対して一方的に供養するだけではなく、相互でやりとりできたり(死者が生者に対して新築や改築を行ったりする際に吉日や方向を教えてくれたりもするなど)、死者が未婚の場合は冥界で結婚させるための口寄せがあるなど生者と死者の距離感はとても近い。場合によっては死者が残された家族に災いを起こすという考えもあるため、そのための供養も行うことはある。しかしこれは死者と生者の間での縁が切れていないことの裏返しでもある。

また東北の地域によっては、若くして亡くなった場合、死後の月日が結婚できる年齢にまで達すると花嫁人形、花婿人形を供えるという死者が成長するという考え方もある。この世の時間とあの世の時間がつながっており、死後も親子関係が変わることはない。口寄せはこうした考え方を前提に行われている。

この観点で靖国神社の英霊祭祀は口寄せとは大きく違う。英霊祭祀においては、これまで息子であった存在が戦死することで「神」として祀られることになり、親子としてのこれまでの関係性が奪われてしまうことになる。それは靖国の中だけではなく家庭内においても、遺影が御真影とともに飾られていた記録もあることからも神格化した遠い存在に位置付けられてしまうのである。亡くなっても世話を焼く親子関係が継続される口寄せとは対照的であると言える。

だが、最も大きい違いはその影響力かもしれない。靖国の英霊祭祀において、神として死者を弔うということは、戦争を肯定するという考え方に行き着いてしまう。一家族の死も集まれば個人的な問題ではなくなり、国全体の問題となる。口寄せは家庭や地域の外へ影響することのない個人的な弔いであるが、靖国神社の英霊祭祀は社会的な弔いである。戦後70年を超える年月が過ぎ、戦争で家族を失った直接の親兄弟もすでに多くの方が亡くなっている。家族が直接戦争を語れなくなる代わりに、私たちは靖国の弔い方を考えることで、戦争について考えることができる。

本文総文字数1563

 参考文献

  • 『民俗文化論』川村邦光

 

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