【写真日記169】これからのおもてなし

お店で外国人の方が働いている姿を見ることがとっても多くなった。

特にコンビニや飲食店。人手不足で働き手を確保できていない接客業って言われてる僕たちが日常的に利用する場において、特に顕著だなと思う。そんなときおもてなしとかいう言葉が好きなこの国のことを考える。

個人店はさほどではないけどもチェーン店やそれに準ずるような規模の大きい居酒屋なんかでは、彼らの力なしには今はお店を回すことはできなそう。

外国人の派遣をメインにやってる紹介会社なんかも増えてる話もよく聞く。居酒屋なんかではアジア系の人が多いのかな。みんな働く意欲が高い人が多い。日本で求められるサービス業のクオリティっていうと今までは、やりすぎでは?というほど高かったけど、少し落ち着いたように思う。

因果関係は定かじゃないけども、こうした外国人労働者が普通になってきたことで、自分としては良い意味でバランスを取り戻してきたように思ったりもする。

過剰なサービスが普通になったら、客が天狗になるし、そんな天狗を満足させようとしたらねえ。サービスの対価を回収するには、労働者が無理をするしかなくなっちゃうもの。まあ、そうして人が集まらなくなったり敬遠される職場として認知されることになったんだろうけど。

今までの当たり前が当たり前じゃなくなってる感はとってもある。もはや労働者を客が助けるって場面も珍しくなくなった。

みんな日本語は話せるけど意味まではわかんないだろうし、漢字とかはやっぱり難しい。先日売り切れのシールを看板のメニューに貼るということを任された外国人アルバイトが「唐揚定食ってどれですか?」って、客のぼくたちにきいてきた。

なんかいいなと思った。

そんなこと店側がとかいうことを正当化しようとするといずれ、お店は無くなってしまう。

店はその金で食材に付加価値をつけて客にだす。客はその分の金を置いてくる。

単に役割であって、客は神様でもなんでもない。自分の代わりに調理してもらって居心地のいい場を提供してもらう。

客も自分たちの立場を意識すること。働き手が満足して、それで客であるぼくたちが良き環境を手に入れること。そんな循環を作るフェーズに来たんだろうね。

働き手が少なくなるこれこらのこの国においてのおもてなしの対象は働き手にこそ向けられるものなのかもしれないなと思ったりもする。

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