ロイス・ワインバーガー展と田んぼの土が温かいこと

先日田植え体験してきた。(米屋の息子なのに初めて)スペイン巡礼友達のひろくんが農体験ができるゲストハウスおみやどを開いてて、昨年は稲刈り(これもやはり初めて)体験もやったのです。だいたい1年に1回、長野の東御へ近況報告会?に集まって、まあ飲み会のためなのだけど、いつもそのタイミングにあったイベントに参加してる。(おみやどでは日々イベント開催中、たぶん主が興味あるやつは全部イベントになるのはないか笑)で、今回は季節的に田植えだったということで、二つ返事で参加。

田植えを経験することで思うところはたくさんあった。日頃食べているお米しかり、食べ物というものが食卓に運ばれてくるまでのプロセスについて。スーパーに行けば、パック詰めされたお肉が並んでる。野菜が山積みになってる。それを買い物カゴに入れてレジに持っていく。そがういうのが自分の知ってる食材であって、なんか食べ物ってすぐそこにいつでもあるというイメージ、というかそれ以上考えようともしなかった。幸せなことに食べ物を食べることに苦労した経験はない。

そんな生き方をしてきたわけだけど、ワインのブドウを摘んだり、稲を刈ったり、鹿の肉をさばいたり、そんなことをしているうちに、少しずつ食べ物というか自然の流れと人間が作ったシステムについて考えるようになった。

おみやどの縁側から見える風景

最近表参道のワタリウム美術館で始まったロイス・ワインバーガー展にいってきた。彼は自然とアートの間をとりもつアーティストで、その世界では有名人。普通というか一般目線じゃないじゃない興味しんしんな言葉がちらほら確認できた。ロイスの作品は自然界を素材として彫刻やドローイング、映像、そして文章まで表現の幅が広い。絵を描きたいとか写真を撮りたいではなく、自然を考えたいという気持ちが先に立っていて、手段は問わない、そういうことだと思う。なんでもありだけどそうしないと表現できないんだろうな、世界観は確かにあった。

「見える自然/見えない自然」と題していて、タイトルそのままだけども見えている自然と見えていない自然という切り口で展示が行われていた。彼いわく、見えている自然とはいわゆる自然、手がつけられていないありのままの森羅万象を指すものであって、見えていない自然というのは、目には見えないけど確かにそこにあるエネルギー、普遍的で流動的で過去から未来へと流れてくる偉大なエネルギーとのこと。

ワタリウム美術館から見える風景

世界観はあるものの、単品で見ると一見意味不明な作品が多いんだけど(まあコンテンポラリーアートの文脈では普通か)、それでも意味やコンセプトを知ろうとすると面白い。作品の解説はキリがないし、全部を飲み込めているわけではないので割愛させていただいて、思ったことを少しだけ。

唐突だけども、私たち人間は地球の中で中心的な存在らしいけどそれはきっと、はしっこ界の中心なのかなあ、なんて思った。見えてる部分だけでも見切れてないのに、この世界には(人間には)見えてない世界も確かにあるのだもの。作品はほぼ具体性はなくて抽象的で、根元的な考えから生まれていると受け取れるものが多かった。(だからいきなりはわかりづらいんだけど。)

そもそも目にも見えてないし、誰も教えてくれないし。目に見えないものを表現しようとしてるのだから、目に見えるものしか見ていない自分たちがすぐにわかるはずもないので、それはそれでいいんだとも思う。だからまずはそんな世界に足を踏み入れてみるということが、この展示の狙いで、それはきっと必要なのだと思う。

ロイスの展示の帰り際なんか目に止まった

で、ようやくタイトルのよくわらかん話には入っていきます。なんで田植え体験とワインバーガーの展示の話を一緒にするかというと、彼は地上(見えてるもの)にあるものでなく、地面の下(見えていないもの)にあるものに注目しているからっていうところで、展示見てわかったつもりになっていたところで、自分のカメラロール見返していて、先日体験した農作業の写真が出てきて、スクロールする指が止まって、あ、なるほどって繋がった。

田植えするために裸足で田んぼに入ったのよ。曇っていて小雨が降っていた日、肌寒い日。冷たいかなーなんて心配しながら田んぼに足を入れると、これが温かいのですよ、おどろいた。温かい、寒い水の中のはずが。寒いから余計に感じる。

田んぼの中で微生物や菌が発酵していて、温かいということらしい。ただの土ではないことはなんとなく察するところだけど、あれは生き物の温かさだと言われると、なんかとても納得できる感じの種類のそれ。暖房のようにドライでもないし、ストーブのようにキリってくる熱でもない。じんわりくる感じのやつ。その時は、なるほど、そうか。田んぼすげーなくらいでしたけど、今回の展示見て、ああ、なるほど、これが見えていない自然かもって腑に落ちたってことでこれ書き始めた。

米は農家さんだけではなくて、小さな見えない生き物の関わりの中で育まれてる。知っててもそんな経験してないと入ってこない。限界ある。で、そこにそれを抽象化してくれるような表現者がいたら、もっとわかる。そんなことを感じた。今回は彼がそうだった。アーティストって大事な存在なのかも。自分の見えている、でも他の人見えてない世界を示してくれるのだから。

田植えは手でやって、機械でやって一通り体験

体験をすること、それを考え直すような機会をもつこと、概念化して自分に落としこむこと、全部の機会が大切。どこから入ってもいいし、体系化されてなくてもいいと思うので、気になったことをやり続けていたら、いずれどこかで繋がるもんなので、まずは足を運ぶことに時間を使うこと、これだなって感じてます。アーティストじゃなくてもこれって何にでも当てはまること。

とりとめないけど、なんか自分の中で繋がったので、頭の中を整理するためにこんなことを書いてみた。こうやって自分の中に養分巡らせて、機能しだせば、また次なるセレンディピティと出会えることでしょう、なんていい風に考えることで日々の謎なアクションを行う言い訳にしたいんでしょう。

さて、最後ちょっとだけ宣伝。古民家の宿泊とか農体験興味ある人はいいですよ、あとスペイン巡礼に興味ある人にはおすすめです。めちゃ話してくれるので。あと、ゲストハウス開きたいという人もいいかも!死ぬほど最高の温泉が近所に転がってるので、それだけでも行ったらいいと思うところです。そのうち何かの合宿とかに使いたいなあ。

過去の体験記はこちら

こちらは宣伝しなくてもいいんだけど笑 でも興味あれば是非。2019年7月13日~10月20日です。表参道のワタリウム美術館でやってます。2人で行くと割引になるよ。

ロイス・ワインバーガー展(美術手帖のページだけど)

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