「芸術は爆発だ」でおなじみの岡本太郎さんですが、ここ最近まで僕もそのイメージでしか彼を捉えていませんでした。井の頭線の渋谷駅に彼の作品(明日の神話)がありますが、あの作品のようによく分からないけどもダイナミック、人をモチーフにした幾何学な模様をカラフルな色で表現する。その時の気分のままに筆を動かしているようなイメージしかなくて、おっしゃる通り爆発のイメージだくらいにしか思っていませんでした。
ちなみに解説しているサイトがありました。(写真もこちらからお借りしています)
でも、昨日この美術館に行ったり、彼の書いた書籍を読み直しているうちにようやくその「芸術は爆発だ」の意味の一端に触れることができました。美術館にいる間は、彼の作品が素晴らしいとか思うよりもむしろ、これまで自分が歩んできた道や思考が、彼の作品を媒介にして外部から自分に入ってくるようなショックを受けました。
知らなかったんですが、彼は絵だけではなく、思想、文学、歴史など様々な分野に精通していて、椅子を作ったりピアノまで弾けたりするんですね。芸術というのは特定の分野を指すのではなく、人生そのもの。単なる技術やスキルではなく、自分の思考、価値を表現するために絵という手段を取るということですね。まさに自分自身の命をぶつけているからこそ彼の絵はダイナミックに映るのでしょうね。
この美術館においては絵画の講釈をたれることなどはとても小さなことで、他人からの説明もまた無意味なのではないかと思います。当然作品にはタイトルがありますし、彼が伝えたいメッセージも説明文もありますが、捉え方は人それぞれでいいんだと思います。上手いとか下手とか、わかる、わからないとかではなく、心を動かされる体験ができるのではないでしょうか。
そこまで大きな美術館ではないですが、2時間30分ほどいたんですかね、出た時にはどっと疲れが出ました。命削り取られたような感覚です、あんなに疲れた美術鑑賞ははじめてでした。今後他の美術館に足を運ぶ際も見方が少し変わるように思います。個人的には彼の美術館に行く前に彼の書籍を読んでから行くことをお勧めします。作品の見方がガラッと変わることでしょう。
優れた芸術家が評価を受けるのは、小手先ではなく、魂や命というものをぶつけてくるから。どれだけ時間が経っても色あせない、むしろ時間がたつほどに光り輝くのはまさにその作品こそその人自身だからなのでしょうね。多くの場合、芸術家と言われる類の人たちは変わり者で、社会から受け入れられ難い存在でもあります。でもむしろ、人生を生かされるのではなく、生き切るという意味においては、見習わなければならないことは大いにありますね。自分も表現者のはしくれとして、今一度プライドを持って真剣に作品に向き合わないといけないと後押しされたような気分です。