菅木志雄の展示「測られた区体」で少し優しくなれる。


週末小山登美夫ギャラリーで開催されていた菅木志雄の「測られた区体」を駆け込みで見てきた。(今はもう終了してます)

さて、大学の大先輩に、最高によかったということでDMもらったんだけども、その写真を見たときには、なんじゃこりゃ?だった。だってなんじゃこりゃってなるでしょうこりゃ。

まあ、そう思ってるところに切り込んでるのが本作なので、展示を見に行って、あーやられたなってなって、むちゃくちゃ視点も好きだし、それを伝えるクオリティまで備わっちゃってて、あーやられたなってなった。

小山登美夫ギャラリー 菅木志雄の「測られた区体」1

木を木としてしか認識していないと、目の前に2本の木があっても、木が2本、おわりってなってしまう。でも本当は木の前にそのものがあると、違いが見えてくるというか違いしかない。だって、全く同じものなんてないんだもの。

今回の展示はまさにそれを制作の中で体現していて、なんてことのない石や木を貼り付けて展示してるのだけども、それが木や石を木や石としてではないそのものだとして見てみると、とたんに面白くなる。

小山登美夫ギャラリー 菅木志雄の「測られた区体」2

もちろん作品作りの中で、角度や切り口を工夫していたり、展示方法も考えられてるので、単純に考え方やコンセプトだけということではないから、ずっと見てられるわけで、独自のものの見方とそれを体現できるセンスとスキルが合わさった素晴らしい展示だった。

小山登美夫ギャラリー 菅木志雄の「測られた区体」3

子供はきっとそういう目線をもっているのだけど、大人への階段を登ることで、どんどんそういうものの見方を忘れていってしまうらしい。生きるための知恵は共通の認識を持つことだし、効率化することもそうだと思う。だから自ずと枠に当てはめようとしてしまって凝り固まった見方、考え方になっていっちゃう。

だから違うもの異なるものに対しては排除しようとする。目の前にあるものを決められた何かではなく、そのものとして見れるようになれば、なんというかすこし優しくなれるような気がするんだけどもね。ただ、これは今のダイバーシティとか多様性とかマイノリティだとかそういうものとは根本的に違うように思う。比較するもので なくて、もっとそれ自体を見ること、領域とかセグメントとかそうではなくて、もっとそれそのものって感じ。

そういうものの見方に挑戦する、意識することはきっといいことだと思う。しかし「測られた区体」って展示名が最高すぎたな。現在は会期を終えてるので見れなかった人は次回はぜひ。


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