春の韓国、ソウル。ご飯とK-POPと整形外科の街だと思っていたら、とんでもないものが開催されました。まず日本には来ないでしょうって言われてるダミアン・ハーストの大規模個展です。「せっかくだし行くか」という軽い気持ちで向かったのですが、結論から言うと、めちゃくちゃ知ってる作品きていてびっくりしました。しかも韓国料金も安くて800円ちょいでみられるとかありがたすぎなんですけども!日本じゃ考えられない。

会場は国立現代美術館ソウル館(MMCA Seoul)。景福宮のすぐ近く、三清洞エリアにある、レンガ造りのどっしりとした建物です。アクセスは地下鉄3号線「安国駅」から徒歩約10〜15分。青空とレンガの組み合わせが映えすぎて、外観からすでにテンションが上がります。「あ、これ現代美術館だ」という感じがにじみ出ていて、期待値がじわじわと上昇します。この日はめちゃくちゃ暑かったので涼しいところに入れるのも嬉しい笑
ダミアン・ハーストの本格的な回顧展はこれまでアジアで開かれることが少なく、今回は代表作であるホルマリン漬けのサメ(「生者の心における死の物理的不可能性」)や、ダイヤモンドを散りばめた頭蓋骨、薬棚のシリーズなど50点以上が一堂に会する貴重な機会。日本の美術館ではなかなか見られない規模なので、わざわざ渡韓して鑑賞する価値があると考えられているのだとか。特集もされてますね。
会期が 2026年3月20日〜6月28日 となっており、日本の春休みやゴールデンウィークの旅行先としてソウルを選ぶ人が多い時期に重なっているそうです。やっぱり日本に来ないの前提ですね。韓国行ける人は実物見ていただくとして(ここでページ離脱していただいて)、なかなか行けないなって人は少し写真撮ってきたので、来ていた作品の一部を紹介したいと思います。
- ダミアン・ハーストって何者?
- 作品たちとの邂逅
- The Acquired Inability to Escape ── 日常を閉じ込める
- Butterfly Paintings/Kaleidoscope Paintings ── 死の美しさ
- Cherry Blossoms ── ハーストにもこんな顔が
- The Twelve Disciples ── 「死」の標本室
- 魚の骸骨 ── 優雅な死の造形
- A Thousand Years ── 目を背けたいのに見てしまう
- The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living ── 伝説の一作
- For the Love of God ── 死の究極の美化
- まとめ ── 死について、これだけ考えさせてくれる場所
ダミアン・ハーストって何者?
その前にまず、ダミアン・ハーストを知らない方のために、ごく簡単にご紹介します。
ダミアン・ハーストは1965年生まれのイギリス人アーティスト。ロンドンのゴールドスミス・カレッジ出身で、90年代のイギリス現代アートムーブメント「YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)」の中心人物として一躍世界的な名声を得ました。代表作はホルムアルデヒド液の入ったガラスケースに動物の死体を収めた作品群。「死」「生」「信仰」「医療」「消費」といったテーマを、ドーンと正面から扱います。挑発的で、グロテスクで、そしてどこかユーモラス。現代アートの世界で最も成功した、そして最も物議を醸してきたアーティストのひとりです。
作品の価格もとんでもなく、2008年にサザビーズで行ったオークション「Beautiful Inside My Head Forever」では、一夜にして約1億1100万ポンドを売り上げるという前代未聞の記録を打ち立てました。「アートって商業主義でいいの?」という問いかけ自体もアートにしてしまうような、底知れないしたたかさと、ある種の清々しいまでのずうずうしさを持つ人です。

今回の展覧会タイトル「NOTHING IS TRUE BUT EVERYTHING IS POSSIBLE」(진실은 없어 그러나 모든 것은 가능하지)は、まさにそんなハーストの哲学を体現したようなフレーズです。「真実なんてものは存在しない、でもなんでも可能だ」。なんか、これだけで一冊の哲学書が書けそうな気がします。書けないけど。
作品たちとの邂逅
The Acquired Inability to Escape ── 日常を閉じ込める
まずは、透明なガラスのヴィトリーヌ(要はガラスケース)に収められた白い机と椅子です。机の上には灰皿とタバコが置かれてる、それだけ。本当にそれだけ。白い。全部白い。清潔感があるような、でも何か息苦しいような。

これはハーストが得意とする「ヴィトリーヌ作品」の典型です。博物館の展示ケースのように日常のオブジェを閉じ込めることで、見慣れたはずのものが突然「観察対象」に変わる。机というのは本来、人が何かをする場所。そこに誰もいない。椅子もある。でも誰もいない。タバコもある。でも煙はもう上がらない。誰かがいた痕跡のような空虚さだけ感じる。「時間が止まった空間」がそこに「置かれて」いました。
しかしこれオフィスだとしたらよっぽど仕事してないな、タバコ吸っていい仕事場なのだから昭和時代の窓際の人のデスクでしょうか。せめて電卓くらい置いておいてもよかったのに。
Butterfly Paintings/Kaleidoscope Paintings ── 死の美しさ
これは見た瞬間に「うわあ、やったな」と思いました。本物の蝶の翅(はね)を使って作られた、万華鏡のような円形のパターン。水色、金色、紫、ベージュ……様々な色の翅が左右対称に組み合わさって、まるでステンドグラス。
ハーストは90年代から蝶を使った作品を数多く制作していて、このような翅のモザイク作品も多く手がけています。テーマはやはり「生と死」。蝶は変容・再生・魂の象徴として扱われるとも聞きますけども、ここでは死んだ蝶の翅が美しいパターンを形成している。「死によってこそ生まれる美」と解釈すればいいのかな。

吸い込まれるような美しさなのですが、これ本物の翅なんですよね。それを知ると、見え方随分変わる。エグいとか酷いとか、残酷とか。美しさを感じていたはずだったのに、その奥に複雑な気持ちがにじむ。でも、それもまた狙い通りなんでしょうね。
ハーストは他の作品でも、美しさと同時に、違和感というか、ストレートにいうと「不快なもの」を同時に提示している。綺麗だなあと思った瞬間に「でも待って」という引っかかりを感じさせる。その繰り返しが彼の作品の持ち味ってことでしょうね。人間は動物の死をどこまで活用していいのか?を問う作品でもあるそう。なるほど。
Cherry Blossoms ── ハーストにもこんな顔が
ガラスケースや解剖標本ばかりのイメージがあるダミアン・ハーストですが、こんな絵も描くんですよね。青空を背景に、満開の桜の木々が溢れんばかりに咲き誇る大作絵画。ピンクと白の花びらが厚く、盛り上がるように描かれている。
これは2020〜2021年にかけて制作された「Cherry Blossoms(桜)」シリーズの一作です。制作の背景にはコロナ禍があります。パンデミックで世界が閉塞していたあの時期、ハーストは桜の絵を描き続けました。桜は「はかなさ」の象徴ですが、同時に「毎年必ず咲く」という循環の象徴でもある。絶望の中にある希望、いい意味で逆張りのようなアプローチ。

グロテスクな作品で名を馳せたハーストが、こんなに美しい絵を描くというギャップ。「あ、この人ちゃんと絵もやるんだ」と思ったというか。一見、美しく生命力に満ちた桜を描いているように見えるけど、ハーストは「桜は美しく、そして儚い。生と死の両方を同時に体現している」と語っている。彼のキャリアを通じてのテーマである「生と死」が、この美しい絵画にも込められています。この作品も中身は小難しさはあるけども、周りは骸骨とか死骸とかだから唯一休憩できる場所かもしれない。。。
The Twelve Disciples ── 「死」の標本室
ずらりと並んだガラスケース。中に収められているのは、人間の骸骨です。それも一体ではなく、複数。同じポーズで、同じように立ち、こちらを見ています(目はないけど)。キリストの12人の使徒をテーマにしていて、それぞれのショーケースに1体ずつ、合計12体の骨格標本が納められている。

ハーストの主要なテーマである「生と死」、そして「宗教」と「科学」の対比を象徴する作品らしい。ハーストの骸骨作品は、メメント・モリ(死を忘れるな)という古典的なモチーフを現代的に昇華したものだそう。
死は誰にも等しく訪れる。裕福でも、貧しくても、美しくても、そうでなくても、みんな最後は骨になる。それはわかってるけども、なんというかこれだけ並んでいると、ちょっと今にも動き出しそうな、お遊戯会的な雰囲気を感じるのは僕だけでしょうか。
魚の骸骨 ── 優雅な死の造形
人骨の近くに展示されていたのが、魚の骸骨を収めたヴィトリーヌです。鱗の代わりに、繊細な骨の構造が透けるように広がっています。ヒレの骨も、背骨も、頭骨も、すべてが精巧で美しい。回折光が骨に反射して、虹色に輝いている部分まであって、思わず見入ってしまった。

生物の死骸というより、もはや精密な彫刻のようです。ハーストが「死」を使って作品を作り続けるのは、死を直視することへの挑戦であると同時に、生命の形そのものへの敬意でもあると感じます。この魚の骸骨を見て最初に思うのはやっぱり「きれい」ってことでしょう。ただきれいの前に骨であり、死なのですよね。死を通して、生の何たるかを考えさせようとしてくる。それがハーストのうまいところですよねえ。
A Thousand Years ── 目を背けたいのに見てしまう
さて、来ました。ハーストといえばこれ、牛の頭とハエですね。ガラスのヴィトリーヌの中に、切り落とされた牛の頭。赤黒い血が広がって、そこに何百匹ものハエが群がっています。白いエサも置かれていて、ハエたちはその周りも飛び回っています。本物の牛の頭。
1990年に発表されたこの作品は、彼をスターダムに押し上げた「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)」運動の象徴的なピースでもあります。「A Thousand Years」は、孵化したハエがガラスケースの中で牛の頭を食べながら生き、最終的に死んでいく一連の生命サイクルを展示している。命が生まれ、命が消費され、命が終わる。それがすべてひとつのケースの中で完結している。美術館に生き物入れること自体すごい。

そして率直に言って、直視するのはキツい。でも見てしまう。なぜか見てしまう。ハーストはこの「見てはいけない感じなのになぜか見てしまう」という感覚を徹底的に利用してくるように思う。普段わたしたちは「死」や「腐敗」をなるべく視野の外に置くようにして生きています。
でも生命の営みの本質とは、まさにそこにある。ハーストはそれをドーンとこちらの目の前に置いてくる。道端に牛の頭落ちていたら、目を背ける人の方が多いでしょうに、美術館にあったら見るんですよね。ほんとうまいことやられてる。しかし首と血すぎて、ほんとに本物だとは信じられない。こんなところに本物置くわけないじゃないって思ってしまう、だから見てられるのかもしれませんな。割と長い時間見ていた。隣の若者は韓国語できゃっきゃしていた、何を感じていたんだろう。
The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living ── 伝説の一作
これもきていました。ダミアン・ハーストの代名詞とも言える、あのサメです。
「The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living(生者の心における死の物理的不可能性)」。長いタイトルですね。1991年発表、ガラスのヴィトリーヌに満たされたホルムアルデヒド液の中に、イタチザメが浸されています。ちなみにこのサメは二代目(初代は腐敗したそう)。
実際に目の前に立ったとき、まずその「大きさ」に圧倒されました。でかいんですよね。写真で見るのと、実物を見るのでは全然違う。全長約4メートルのサメが、静かにこちらを見ています(死んでいるのに)。口は少し開いていて、歯がのぞいている。ホルムアルデヒドに浸かっているから、色が少し白みがかっていて、それがまた生々しい。

ハーストがこの作品で問いかけるのは「死の不可能性」です。人間は頭では「自分はいつか死ぬ」とわかっている。でも実感として「自分が死ぬこと」は、なかなかリアルに想像できない。
この作品は「死」という抽象的な概念を、生きている私たちが心の中で本当に理解することは物理的に不可能である、という哲学的な問いを投げかけています。ガラスの向こうにあるのに、やっぱりその姿は結構勢いがあって、死んでるはずだけどもやっぱり怖い。サメが今にも動き出しそうだと思う感覚はやっぱり死んでるってことを100%理解できていないからかも?などと思ってみったりした。やっぱり一番人だかりできていた。
For the Love of God ── 死の究極の美化
展覧会のフィナーレを飾るように、暗い空間にスポットライトで照らされていたのが、この作品でした。「For the Love of God(神のために)」(2007年)。18カラットのプラチナ製の頭蓋骨に、8601個のダイヤモンドが埋め込まれています。総重量1106.18カラット。制作費はおよそ1400万ポンド(当時のレートで約30億円!)。そして当初の売値はなんと5000万ポンド(約100億円)。気が狂っている。
でも、これを実際に目の前にすると、もはや「高い安い」という次元を超えてしまいます。暗闇の中でダイヤモンドが乱反射していて、見ているだけで目がくらくらするほどです。頭蓋骨という「死の象徴」が、最も高価で美しいダイヤモンドで覆われている。「死を飾る」という行為を究極まで突き詰めたとき、何が生まれるか。これが生まれたんでしょうね。

ダイヤモンドを埋め込まれた頭蓋骨は、もはや「死」ではなく「不死」のようにも見える(漫画やアニメの悪者とかでいそうだし)。こうなると永遠に輝き続ける存在ですね。それはある意味で、人間が死に対して持つ最大の抵抗、すなわち自分の代わりに何かを作って残すこと。この作品は実に人間らしいのかもしれない、ダイヤモンド以外は。
そして、もっと警備員さん配置しておいた方がいいのでは?と。心配になりましたよ、なんせ100億円。盗まれへんのかな。これ。
まとめ ── 死について、これだけ考えさせてくれる場所
今回、天気の良い日曜日に来ました。美術館に結構人はいましたが、部屋を分けて配置されてたので、最初は並んだけども、会場内では比較的ゆっくりと見ることができました。
ダミアン・ハーストの作品が強烈なのは、テーマが「死」という最もリアルで、最も誰にとっても切実な問題だからだと思います。現代社会では、死はなるべく見えないところに隠される傾向がある。でも本当は、死は生の隣に、常に存在している。ハーストはそれをまざまざと可視化して、「どう?直視できる?」と問いかけてくる。
普通は怖いし、気持ち悪いし、目を背けたくなるものばかりですけども、それをきちんと凝視させるってこれは彼の仕事やっぱりすごいなあと思いましたよね。桜の美しさも、蝶の翅の繊細さも、サメの野性的な存在感も、全部「生があったから」だと、じわじわと感じていました。死があるからこそ、生の輝きがわかる。病気になって初めて健康って素晴らしいと感じるあれですね。

最後に、全然関係ないけども、今回韓国の美術館初めて行ったのですけども、めちゃくちゃ思ったことが一つ。作品の写真の前でカップルが、自分の彼氏・彼女を撮影したりしている姿をよく見かけたことが結構衝撃だった。韓国ってこんな感じで美術館使うんだ!って。アートが彼女の引き立て役なんだ!と。色んな理由あると思うけども、まあそれはそれで、アートが身近にあるということなんでいいのかな。日本との違いを感じた瞬間でした。この日が特別そういう人たち多かったのか。いずれにしても楽しい鑑賞時間でした。もし韓国に行く機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。
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