【写真日記102】我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

スカッと晴れた日の海は全てを包み込み、
これからの新たな世界に旅立つための背中を押してくれる。

そんな大きな包容力を感じられる存在だが、暑く雲がかかり
風の強い海は僕にこれまでのことを振り返り、内省することを強要する。

こんな日に決まって頭を過るのは、ゴーギャンの
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」だ。

今、ここにいる自分は紛れもなく、これまで関わってきた人たちが
作り上げた作品であり、これから歩む人生は
これから関わる人達によって加工されていく。

そんな今、まったく過去からも未来からも独立したこの一瞬を考えたなら、
私とは一体何者なのであろうか。

過去を変えることのできない私たちは、
連綿と続く未来にどのように交わればよいのだろうか。

そんなことを考えたときに、
ゴーギャンは我々という言葉を使っていることに気がつく。

我々は私の集合体なのである。

そういう意味では肩肘張らずに、かと言って流される必要もなく
自由意志を持つ一部としてもがけばよいのかもしれない。

誰かがきっと拾うのだ。

拾われなければこの海に漂う藻屑の構成物となるくらいなもんだろう。

ただ、神聖なる地球に受け入れてもらうためには、
いつも体くらいはきれいにしておきたいものですね。

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