自分の好きなものは誰かと誰かの好きなもの


今好きなものって、本当に人から影響が受けたものが多いなあと思う。映画も本も音楽も、ビールもワインもウイスキーも全て影響を受けた人がいる。

もちろんそこから派生して自分なりに好きな傾向もできてきてるんだろうけど、ストライクな作品や体験に出会うと、教えてくれた人たちの顔が思い浮かぶ。あーこの学者はこの人で、このミュージシャンはあの人だ、そしてこのワインはあーはいはいはい、みたいな感じで。

路地の片隅

案外自分がこれって見つけて好きになったものって少ないのかもしれない。好きになるにしてもそれすら誰かの影響下の延長だろうよ。そう考えると、今の自分ってこれまで出会った人たちで構成されてるんだなあと思う。

というわけで良き自分を作るためには良き出会いは必須だけども、混ぜてみないと自分の中でどんな反応するかわかんないので、僕はいったん好き嫌いせずに食べてみる。やだなあと思いながらの時もあるけど、それでもそれが次のきっかけになることも少なくないし。

今真っ盛りな紫陽花

純粋な自分だけってあるのかなあ。むしろそうやっていろんな人の栄養が混ざり合ったハイブッリドさこそが自分なのかもしれないなあと思う。もちろん社会に最適化して、コミュニティで生きれるようにチューニングされてきた自覚はあるので、当たり前といえばそうなんだけども、その組み合わせは一人一人違う。混ぜ方、混ざり方にこそ人の独自性が出るのかもしれない。

人ってやっぱり影響されるもんなんだし、唯一とか無二とかのこだわりは置いておいて、どんどん混ぜていけばいいしそれを肯定することで自分を見出せばよい。

すれ違う

ということで良性な混ぜ物のためにやっぱり出会いや過程は大切にしないといけないよなあ、という至極まっとうな結論に落ち着くのでした。間違ってもわかったふりや評論家な姿勢はよくないもんです。まずは美味しくいただきましょう。

何となくこの本思い出した。新しいアイデアは既存のアイデアと既存のアイデアを掛け合わせたものだって書いてた本。ということで最後に紹介。


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