人のことなんてわからない、
自分のことなんてもっとわからない。
わからないことばっかりだ、
わかってることなんてあるのだろうか、
わかっている人なんているのだろうか。
それはわかってるつもりなんじゃないだろうか。
わかろうとする姿勢は必要と言われるけど、
わからないのに必要なんだろうか。
必要なのはわかろうとすることではなく、
わからないことを受け入れてなお、
それでも一緒にいるための気遣いや配慮なのではないんだろうか。
そんなことを思ったけども、
そもそも分かる必要なんてないのかもしれない。
ビールの美味しい理由なんて知らなくても
ビールが美味しければそれでいいのではないか。
なんか書いてるとそんな風に思ってきた。
ああ、ビール飲もう。