【写真日記91】舞ったかもしれない舞わなかった血しぶき

以前から少しずつ気になり、最近よく考えるキーワードに
「中動態」というものがある。

能動態や受動態といった「する・される」に包括されない
微妙なニュアンスの態。

今まではだいたい能動態や受動態のどちらかに分類されると考えていたというか、
考えることすらしなかった当たりまえのものでしたが、考えれば考えるほど
世界は中動態という態に属するものばかりなのかもしれません。

このブログだって、自分でサーバーを借りて、ドメインをとって、
写真を撮って文章を書いて・・・

明らかに能動的な行動だと思いますけど、更に深く考察してみると、
そうしなければならない理由によって、そうさせられていると
考えることもできるのではないかと。

國分 功一郎さんがこれについての本「中動態の世界」を書いているので、
読んで見ようかなと思います。

そうすると、冒頭のカップルもいろんな風に見ることができます。

素直に見れば、撮るという能動的な行動(彼氏)と
撮られるという受動的な行動(彼女)と見えます。

ただ撮るという積極的な行動を見せないと、
その後未来永劫ボロクソに言われるみたいな危険性を彼氏が察知すれば、
「撮らなければまずいことになる」とリスクヘッジ的反応を起こしたかもしれません。

こうなると、撮らされているという受動的な動機からですが、
「撮りたい、いやぜひ撮らせてほしい!」と目から水を流しながら
彼女に頼み込むのかもしれません。

そして泣きながら懇願し撮る彼氏に満足した彼女は、
今日もご機嫌に家路につくのでしょう。

銀座の歩行者天国に舞うかもしれなかった誰かの血しぶきは
それ自体がなかったこととなり、献血に回すことも可能になりました。

消極的な積極性や中動態的なスタンスは命を救うみたいですし、
やはり女性は強いみたいです。(全然知りませんけど)

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