この、「えびのアヒージョと僕とおばちゃんのお話」は以前、別サイトで書いていたものですが、完全版としてここに掲載しなおしました。
2年前くらいになりますかね、故郷の和歌山に戻ったときのお話です。当時はの僕はあと2ヶ月で30歳になるという歳。高校時代のクラスメイトで、10年ぶりに同窓会を行うという事になったもんで、楽しみにいってきたのです。高専に通っていた僕は5年間同じクラスで学びましたので、まあずっと同じ顔ぶれで入学から卒業まで来たわけですね(若干入れ替わりもありましたけど)。久々に集まってみるとやっぱりみんなとはけっこう仲いいもんですね。昔はそれほどだったような感じもありましたが、これが大人というものでしょうか。東京に住む僕も、そんな同窓会ということであればとやっぱり馳せ参じたのです。
でも、今日はクラスメイトの仲の良さを伝えるお話ではなく、そんな友人たちが思い出話に花を咲かせている隣で、演じた僕のもうひとつのドラマについてをお話します。
■ミッドフィルダー的なぼくの役割
幹事はどうやらコース料理を頼んでいました。開始ギリギリに入った僕はテーブルの空いている通路側の一番端の席に座りました。乾杯終了後、次から次へと机に乗り切らないような料理が運ばれてきます。さっそく、椀子そば状態で料理を胃の中に流し込まないと料理がテーブルに乗りません。運ばれるスピードが早いのか、思い出話に花が咲きすぎて、料理までたどり着かないのか。ひとまず、どんどん胃の中に流し込んでいた僕ですが、そうして率先してお皿を空にするには理由がありました。
先ほども言いましたが、僕はテーブルの一番端の席、しかも通路側に座っています。そして、料理は今この瞬間にもどんどんと運ばれてきます。しかしながら料理が乗り切らない机なわけなのですから、おばちゃんの料理を生かすも殺すも僕にかかっているということになります。もうおばちゃんは僕に料理を任せるしかないのです。今この同窓会、このテーブルに置いてミッドフィルダー的なポジションがぼくの役割なのです。
ときおり見せるおばちゃんの安堵の表情はお皿を空けてくれるくれることにより、もってきた料理を置けることによるものだったのか、もしくはそんなおばちゃんの心情を察した僕が男気を見せ続けたことによるものだったのかは今になってはわかりません。というか今にならなくてもわかります。(料理できた→もってきておけない→おばちゃん立ちっぱなし→他の客に呼ばれてもいけない→新しい料理ができあがっている→怒られるし、料理もたまる→オペレーションうまくいかん→客怒るし売り上げたたない→店長怒る)
▪️スペイン料理の、アヒージョてゆうやつ
さて、そんなやりとりが何回か行われたあるとき、「えびのアヒージョ」が運ばれてきました。(※海老のアヒージョ:たっぷりのにんにくを入れて、オリーブオイルでエビを煮たもの。とっても簡単な作り方なのにすごくお酒に合う絶品スペイン料理です。)
ここまでおばちゃんとは、「料理のりませんねえ」「すぐお皿空けますからね!」などとコミュニケーションを図っていました。今回はおばちゃんが熱そうに、アヒージョをもってテーブルの横で立っています。僕に向かっておばちゃんは得意げな顔で言いました。
「お兄ちゃん、今度これもってきたの、えびのアヒージョてゆうやつやから」
おばちゃんが何事かを言っていたのは当然僕の耳にも入っていましたが、僕はそれ以上に必死になり自分の前にそのアヒージョなるものを置けるスペースを空けるため、空きそうな料理をまとめつつ、お皿にわけられなかった料理をまた直接胃の中に入れていますと、おばちゃんはもう一度言いました。
「スペイン料理の、アヒージョてゆうやつやから」
僕は過去にアヒージョを食べた事がありました、確かにぐつぐつの油がたっぷり入っているので、こぼせば火傷する事間違いなしです。煮えたぎったえびやらたこやらを食べて口の中を火傷したことも1度や2度ではありません。(なんだったらその油をつけたバケットでも口を怪我しました。)そう、僕はアヒージョを知っているのです。
「アヒージョて知ってる?これものすご熱いから気つけてよ、中の油がぐつぐつなってる料理やからよ」
「スペインの料理なんやって、アヒージョ、なかなかこんな店ででてけーへんでな、お兄ちゃん」
そう、ここは「和歌山」なのです。
■僕の小ささとおばちゃんの大きさ
やたらとアヒージョを推してくるおばちゃん。知っていた僕はここで、へんな見栄を張ってしまいました。まだまだ僕の中に大人になりきれていない小さな小さな心があるのでしょうか、それともここは同窓会という場、童心に戻ってしまい、反抗的な気持ちが出てしまったのでしょうか。
「そうなんや、アヒージョってゆうんや」
と僕がこう言えば全ては丸くおさまったのです。ところがこのときの僕はそうは言わなかったのです。あろうことか僕は、おばちゃんに向かって僕は、
「知ってるよ、アヒージョ知ってるよ、むしろかなりアヒージョ慣れしてるからね、火傷するし、気つけやなあかんやつやでな!」
これが今年(当時)30歳になる男のセリフでしょうか。そもそもアヒージョ慣れって何なのでしょうか。僕はおばちゃんに言葉の暴力を振るってしまいました。おばちゃんの心を深く傷つけてしまったかもしれません。僕はあまりに小さい、ミジンコほどの男です。そんな僕におばちゃんはこういいました。大きな心を持ってこう言いました。
「あら、そうなん、お兄ちゃんすごいなぁ、おばちゃんはこの店ではじめてアヒージョ知ったわあ、お兄ちゃんアヒージョ慣れしてるんやなぁ」
アヒージョ慣れという言葉が通じたのかどうなのかわかりませんが、おばちゃんはそう声をかけてくれました。よく考えてみると、アヒージョの扱いには一定の知見を持ち合わせていると思っていた僕も、熱いオリーブオイルに、にんにくを入れて香りを出し、そこにキノコやらタコやらエビやらをぶち込んだおいしい料理ということくらいしか知りません。1度や2度火傷した事があるからってなんなんでしょうか。
この店で働いてからはじめてアヒージョの存在を知ったおばちゃんと何が違うのでしょうか。隣では友人たちが結婚しただの子供が生まれそうだだのと、幸せそうな話をしています。そんなとき、おばちゃんはもう一言だけ、僕に向かってつぶやきました。
「そっかお兄ちゃん、すごいなぁ。おばちゃんにもいろいろ教えて欲しいわ」
僕は「はっ」としておばちゃんの顔を見上げました。おばちゃんは今までとは違う表情を浮かべ、次の料理をとりにキッチンへと向かっていきました。
アヒージョで火傷するのではなく、おばちゃんで火傷する、
そのときのおばちゃんの顔は間違いなくアデージョでした。