偶然と運命について考えてたら振り出し以前に戻った話



「これって運命!?」「すごい偶然だなあ」みたいな言葉よく聞く。自分でも何かの出来事が起こった時に偶然だと片付けるときもあれば、運命かも?なんて思うこともある。

この2つ何が違うのか。気になってデジタル大辞泉で調べてみたら、

偶然:何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。

運命:人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。

ということだった。

言葉の意味や定義的には、出来事止まりなのが「偶然」でその偶然から何らかの結果を経ての人間の感情にまで及ぼすのが運命みたい。これらをもう少し考えてみると、こんな解釈かな。

運命1:すごい偶然の言い換え→偶然そのものが運命という場合

運命2:仮運命(偶然)からの格上げ→偶然に意味を見出して、行動することで運命に昇華した場合

運命1:すごい偶然の言い換え

この世に生まれるのも、人間に生まれるのも、日本に生まれるのも、計算すれば天文学的な数字だろうし(そもそも計算できるのかしら?)とてつもない偶然。まさに運命。みたいな。めちゃくちゃすごい偶然だけど、そんな偶然を運命と呼ぶのかもしれない。

運命2:仮運命(偶然)からの格上げ

何かのチャンス(偶然)を得てそれを終わらせないように行動する。今のところは仮運命とする。結果的に成就すると仮運命は仮が取れて晴れて運命として認められる。あのチャンスは運命だった!みたいに。逆に成就しなければただの偶然でしたね、よくあることですわ、と言って片付けられてしまう。偶然で終わらすか、運命に引き上げるか。その後の私の行動次第。運命免許制度。

そしてなんで運命かも?とか思ってしまうのか?やっぱりドラマチックなのが好きなのか?人間はそれを特別なものとしたいものなのだろうか。根本的にそうなのだとしたら運命についてこんな風に考えることもナンセンスで、「運命やわっ!これ運命やっっっ!!」なんて思っとけばいいに違いない。都合悪いものだけ偶然にしとけばよろしい。

生まれたことが超絶偶然運命なのに、そのあとの運命はそれに比べたら誤差のようなものであるような気もするし、とか言ったら元も子もないけど、そんな生まれる前の話は置いておいて、意識化の中での偶然ってやつをもっと運命にして面白く生きていくことがきっといいに違いない。

でも何でもかんでも運命にしたら毎日お寿司食うようにありがたみなくなるし、コントロールしないといけないですね。つまりは自分のさじ加減ですかってところで落ち着きそうなのだけどもそんなことはないだろう。もっと運命的な運命があるはず!ということでまた考え始めたいと思ったけど考えるものではないものなのでは?となってて、振り出し以前に戻って終わった。


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