写真は芸術メディアと成り得るか

記録性の強い写真は芸術メディアと成り得るか、これを考えるで、写真史は興味深かった。

写真の始まりはジョセフ・ニセフォール・ニエプスの「ル・グラの自宅窓からの眺め」という窓から見られる風景の記録であるが、写真だけでなく絵画や書物といった他のメディアも情報の記録を目的として生み出されている。

人類最古の壁画と呼ばれるショーヴェの壁画も外の世界の動物の記録であったと考えられているし、世界最古の文字と言われるシュメール語もその大部分は家畜や穀類、土地についての記録(今で言う会計簿)だったという研究結果が出ている。

さて、記録目的からスタートしたメディアは一様に、表現の道を辿ることになる。発展の仕方はメディアにより異なるが、記録から表現への移行、役割のスイッチという社会的認知の変化は時代背景を通して確認できる。

最も顕著に確認できるのが戦争である。戦時中同じ「記録する」という役割のもとで活動した画家とカメラマンであったが、戦後画家は石を投げられ、カメラマンはお咎めなしと世論の反応は二分されることになった。(藤田嗣治の事例が顕著だ)ここから当時カメラは記録メディア(客観)であり、絵画は表現メディア(主観)として認知されていたことが伺える。

こうした事例からより優れた記録メディアが生まれた瞬間に、過去のメディアは表現メディアと役割を変えると考えることはできないだろうか。

記録はより精緻でより正確な方が価値がある事は明らかで、最新の技術が使える時代において、過去メディアで客観を捉えることは不十分だ。敢えて過去メディアを使う理由は作者の主観を記録(可視化)するうえで、意図的に使うことに他ならない。これがつまり表現である。

写真は現在は部分的に映像よりも勝る部分あるため、記録メディアとしての側面を色濃く残すが、一方で前後の文脈のない瞬間を切り取るだけでは記録メディアとしては物足りない。

今後さらに映像技術が進歩したとき、写真は表現メディアという枠組みの中に組み込まれ、絵画と同じ枠組みとなるのではないか。そして映像に変わる記録メディアが生まれた時に、写真は真に芸術メディアと成りうるのではないか、そんなふうに思うのである。

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