過去にお仕事でお世話になっていた方で、最近はプライベートで(SNS上で)たまにやり取りさせてもらっているFさんという方がいるんですが、先日一度死なれてしまいました。
一度死ぬというのは変な表現ですが、本当その通りで一度死んで生き返ってこられたようなんです。だから、天に召されるとか亡くなるという表現ではなくて、死ぬという表現にしてみたんですけど。(何となく、亡くなるという表現の方が、ずっと帰ってこないような気がして)
10分ほど心肺停止になっていたようです。その後後遺症もなく、無事お戻りになられたそうです。(奇跡!)
ということを聞いて、良かったですね、ということと同時に、とてもとても不謹慎なのですが、、、少しだけ、ほんの少しだけですが、いいなって思ってしまう僕がいました。
僕がおもてたことを、お医者さんに言われたそうです。「1回死んだってことはあとは儲けものやな」と。ほんとおっしゃる通りです、文字通り2回目の人生ですからね。もう好き勝手してもいいんじゃないかと。好き勝手しても多目にみてもらえたり、文句も言われないんじゃないかと。(そんなことはないんでしょうけど。。。)
さて、僕はわりと「死」というものを考える機会は多いのですが、当然「死」というものを経験したことがないので、今のところ輪廻転生というところに着地しています。「こんなに現世で頑張ったら来世ではいい感じに生まれ変わらんと不公平や!」という損得勘定むき出しの輪廻転生ですが笑
そういう意味ではFさんは1回死んだんやから、今は生まれ変わってるはずで、それが偶然自分自身の続きの人生に生まれ変わったんじゃないかなと。生まれ変わってるんやから、今まで通りのやり方でなくてもいいし、それこそ既成概念ぶっ壊しながら、生きていってもらいたいなと思う訳です。それが先ほどいいなと言った背景です。
ちょっと話は飛躍してしまいますけど、個人的に寝ているときは死んでるのとそう変わらないような気がしています。そんな観点で考えることができれば、僕も生まれ変われると。「夜に昨日の自分は死んで、朝新しい今日の自分として生き返る。」ということです。何かしらのきっかけや、追い込まれた状況がないと人ってなかなか変われない生き物だと思います。昨日の僕は死んだことにして、今日からまた新たな人生を歩いていけることにしようかとそんなことを考えてみました。(仮に上司とかから死ぬ気で頑張れという言葉はあまり好きではないですが、死んだと思ってやってみればと言われたらああなるほどと納得できるかもしれませんねー。。。ひとりごと)
本当のお葬式とかになると、故人を偲ぶことはあっても、自分ごととしてあまり深く考えることはできないので、今回はとてもよい機会になりました。(Fさんには本当申し訳ありませんが、、、いやあ生き返っていただいてよかった)
死ということと向き合ううえで、素晴らしい本があったのでこんな記事も書きました
特殊清掃〜死体と向き合った男の20年の記録
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