メガネ外して描いてもまだ足りない


先日とある駅で子供達の描いた絵が展示されていた。なんかすごくわかりやすくてびっくりしてショックを受けたこと。

年齢別で飾られていた。1歳児から4歳児へのレベルアップなのかダウンなのか、そもそもそーゆーことじゃないかもだけども、見方が、描き方がもう全然違う。なんというか魂的な精神的な何かから、歳を重ねると形式的な物理的な何かに変わっていってるような感覚がすごいある。

1歳児の作品

1歳児とかってそもそも何も知らない、見るもの全部新しい。でも年を経るごとに犬ってこんなもんだ鳥ってこんなもんだってものが、見たことないから見たことあるに変わっていって、そういう知識や経験から、こうあるべき的な何かが芽生えるのかもしれない。もしかしたら親から褒められたりするとこう描くのが正しいと思うのかもしれない。

いま、自分にとって1歳児の絵を感覚的に描くことは逆立ちするよりも難しい。きっとというか間違いなく描けない。社会的ん文脈上にある対象の刷り込みによって、それそのままを見ることができなくなってる。これは、先日みた展示「測られた区体」のことに通づる話。多分意図的に同じようなものを描いてもどっかわざとらしい感じとか残ると思う。

年長組、4歳時の作品

メガネ外して描くくらいな感じでまだ足りないような感じ。そのものであってそれではないような自分しか見えていない何かを自信持って描けるという感性は死ぬほど大事な気がする。その感覚をもう一度取り戻したいなと思う。

理論や理屈にこだわりだすと面白くない、習わしや形式に頼るのは面白くない。歴史を勉強すること手法を学ぶことは別の文脈では大事だとは思うけども、それだけになるとただ説教くさくてやかましいだけになってしまう。歴史的背景、学術的背景を踏まえ、なおそれらに負けないような直感、感性を備えておくこと。そしてバランスよく発揮すること、これが大事。

これくらい見えていないものを描くつもりでやってもまだ足りない

直感は説明できてはいけないという。1歳児から4歳児でこの変化。今自分はどれほどおもんない人間になってんのか。。。反射的に筆を手にとって、楽しんでたら、気づいたら終わってる。そんな境地をもう一度味わいたいなあと思う今日この頃。気難しい説教くさいオヤジにはなりたくないもんだ。


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