こんにちはいむりんです。たまには芸大生的なことも。(最近は痔のことばかりだったからなあ)
さて、本日は京都芸術大学の学友の写真展にいってきた。
ぐるり。1 人生出てる
在学中から「すごいなあ」とは思っていたけど、実際に展示しているのを見てみると、さらに「すごいなあ」が増した。
さすが卒業生というか、あれは卒業生なんてものではないね。これまでの人生出てきてるよね。
展示は、ご自宅で1人の男性が亡くなるまでの数年の記録を写真と文章で構成していた。ぐるり。看護師であり写真も撮る彼女だからこそ見つけた舞台だったんだろうなあとか思って感心しながら見ていた。
タイトルの「ぐるり。」はいろんな意味があるだろうけど、展示会場もぐるりとまわる仕様で、しかもギャラリースペースもお家感があってそれもピッタリハマっていた。
展示風景を撮ってみようとも思ったけど、最近メルカリに出品するためにしか撮っていない自分が、あの場を表現しきれるわけもないので、撮影は遠慮した。(写真展見といてあれだけど、写真撮ると安心して忘れちゃうんよね。撮ろうと思う気持ちだけ胸に撮らないことで残る何かあると思うですよね、という言い訳も付け加えておくけども)
ということで、写真ネタなのに、今回は文章だけでお送りしていきます。
写真撮る人たちほんとすごいわ。
ぐるり。2 軽やかさの正体
さて、カメラが写真家の目なら、撮影された写真は間違いなく本人の目に映っているものであって、展示されている写真は被写体はもちろんだけど、彼女の歴史が写り込んでいる。
瞬発的な写真や作り込まれた写真など、写真表現には様々ある、今回の作品に近いのはドキュメンタリー的なカテゴリなのだろうけどそれとも違う、もっとじっくりというかじっとりというかウェットで、それでいて潔さとか軽やかさもあったりして。
でも(写真がモノクロだからということも少しはお手伝いしてるかもだけど)重みもあるのよね、テーマ的に軽い訳はないのだろうけど、何か「軽い」ではなく、「軽やかさ」があったのは確かなんですよね、被写体の男性の飄々とした感じがそれなのかしら。彼の記した日記的なものを(リライトしたもの)見たからなのか。
ふうっと見終わって「自分もちゃんと生きてみるか」などと思わせるような感じがあった。実際最近の自分には感受性的なものをどこかに置き忘れてきていたような感覚があった。感じるよりも考えてしまって、正しさを求めてしまうような。
今回被写体となった男性が亡くなるまでの日記のような詩のような、つぶやきのようなとにかく彼から出てきた表現が、実に清々しくて、看取られている100歳の彼が、今展示を見ている誰よりも間違いなく「元気」であったことに、ハッとさせられて、そして「自分もちゃんと生きてみるか」などと思わせられたわけで。
ちゃんと生きたとして、同じ類のものを撮れる気は全くしないし、そもそもちゃんと生きるのも難易度高いなあとか既に思っている自分だけども、せめて写真の中の(身体が動かんくなっても元気だという)彼に笑い飛ばしてもらえるような生き方や感じ方してけたらいいのかなあなんてぼんやりと思ったりした。これ書きながら。
ぐるり。3 尾山直子写真展 ぐるり。
ほんといい仕事してました。(またしても学校卒業できんかった自分からしたら)すげえなあと心から思った展示でした。
しかし人の作品見たらなにかやりたくなる現象に名前つけてほしいな。何なのだろうね、これ。感想書いてる場合ではないなあ。
良い展示でしたので、ぜひ。
ごちそうさまでした。次回作にも期待。
尾山直子写真展 ぐるり。 かつて存在していた、暮らしのなかにある「老いと死」。 そのプロセスを日々の生活のなかで目の当たりにし、向き合うことは、 言葉や知識だけではなく体感としての生きた学びがあったのではないか。 その姿や、質感や、動きや、反応や、感覚や、眼差しの変化。 人間の生命がどうはじまり、育まれ、終わり、そしてどうつながっていくのか。 老いていのちを閉じようとしている人は、全てを使って、次の世代へ伝えている。 展示概要 2021年12月8日(水)〜12日(日) 10:00~18:00(入場は17:30まで/最終日は16:00まで) 世田谷美術館分館 清川泰次記念ギャラリー内区民ギャラリー 〒157-0066 東京都世田谷区成城2-22-17 協賛 桜新町アーバンクリニック 協力 ナースケア・ステーション ナースケア・リビング世田谷中町 主催 尾山直子・神野真実gururi尾山直子 写真展「ぐるり。」