山種美術館が広尾開館10周年記念ということで、ちょうど生誕125年の速水御舟展が開催されている。「炎舞」が一番有名ですかね。重要文化財。作品集買った写真をのっけておきましたけど、その絵が炎舞です。
実際本物見たのは初めてでしたけど、生の作品を見ると、もはや単なる絵でないですね、なんというかあれ絶対妖気まとってますよね。そんな惹き込まれる何かあります。
さて、速水御舟は「炎舞」以外の絵もとても素敵。繊細でいて、挑戦的、40年という短い人生の中で仕上げた作品は700点。でも画家としての型ができるということは行き詰まりという発言を残すほどに、創造と破壊を繰り返した人だったようです。同じ文脈で山を登るのはすごい、でもその山を降りる勇気こそもっとすごい、そんなことも言ってました。
彼のそんな作品づくりへのスタンスは、画家というよりもアニミズム的な観点を持った思想家というか哲学家というかそんな感じ、速水御舟はそれを絵で表現するアーティストって感じました。
今回の展示では、彼の作品と合わせて、発言録も随所に散りばめられていて、その絵を描こうとした気持ちや、書く際の意識を知ることができて、むしろだから彼の絵よりもそちらに惹かれてしまった。
今回作品集を買ったのだけど、絵というよりは彼の考えに惹かれて、エッセイを買ったような感覚。絵はやっぱり現物みたいけど、文字や考えはその作品図録を参考にいつでも同じように自分も考えることができるので。(とはいえやっぱり本物を見ながら考えるのとは違うけども)
作品集の中には、いつの時代にも当てはまる言葉が多数残されてる。それだけ本質的だということなんだろうね。例えば、1933年の発言だけど、こんなのがあった。
「自己発表のみに慌ただしい現代は吐くことばかりでもはや喘いでしまってはいないだろうか。それかと云って、吸うことのみに没入すれば、賃沈滞に堕するであろう。呼吸の調和こそ人体にあっては欠く可らざるものであり、画業においても呼吸の一致なくして健康な作品は得られない。」
この言葉なんて、2019年になった今の方が、ずしんときそうなもの、健康な作品って別に絵とは限らなくて、人生にだって置き換えられる。人生は人間が作る一番の作品だと思うもの。
お金があっても時間がない、権力は得てもストレス過多とか、何かを得るためには何かを犠牲にしたりすることが普通になってる。なんかちょうどいいってのができづらい雰囲気。どっちかしかできない。もっと調和っていうかちょうどいいところがいいのに、それってそんなに難しいことなのかしら。
さてさて、少し作品にも触れておくと、やっぱり「炎舞」は異様なオーラが放たれていた。照明も暗めの中で作品に照らされる光が暗闇の中の焚き火を最大限に効果的に表現してる。彼はこの作品を書く際に焚き火をめちゃくちゃして研究したらしい。その炎は仏教画的な感じはあるのだけども、でもその炎から舞い上がる煙や渦の巻き方はんどは御舟独自の作風ということ。そこに群がる蛾は動いていないのが不思議なほど、生々しくて、そして儚さを漂わせてる。
作品は焚き火に蛾が群がってるってものだけど、自分の身を焼かれながらも火を欲する彼らのように、俯瞰すればその絵に群がる鑑賞者たちがそこには大勢いるわけで、そこにいる人たちも自分の意識や時間というものをその絵に捧げる代わりにそれぞれ何かを得ようとしているのだろうかしら。
鑑賞者は、何を得たのだろう、もしくは何を失ったのだだろう。ふとそんなことを考える。
山種美術館のページはこちら http://www.yamatane-museum.jp/2019/06/-gyoshu.html