お好み焼きパーティで品なるものを考えた末の行動が時間を返して欲しい


お家でお好み焼きを食べながら、哲学談義の誕生日パーティ。小さな部屋が煙なのか湯気なのかでうすら白くなる頃には、持ってきていただいたワインで充たされて、話は哲学らしき様相を帯びてくる。

哲学って守備範囲が広くて、どの角度からも話せるのがよい。ご飯を食べてるところからも、服装からも、住むとかかもそう。ただ、哲学っていうと堅苦しいところもあるけども、答えのない問いをどう受け入れるか、ということだと思うので、本当は硬くなる必要もない。小さな子供なんかまさにみんな哲学者だと思うし。

そう捉えると生き方は重要で、言い換えると品位なのかもしれないなという話になった。品位っていうのはコトバンクには「人や事物にそなわっている気高さや上品さ。品格。」という表現がされてたんだけども、自分的には、上品っていう言葉はあまりしっくりこない、上ってなんだと思う。上の品かー。綺麗に振舞っても違和感を感じることもあれば、大笑いしたり、天真爛漫なイメージを持つ人にも品を感じることもある。

今の所自分の定義する品位というのは、余裕と嗜みと受容を備えた少しの主張なのではと思う。ただ世界をフラットに見て、その世界を許容しながらも迎合しない、そこに自分が信じてるものがあるような、なんかそんな感じ。

自分の道を進む人、信念を持ってる人、自分を生きている人は、一見強そうだったりもするけども、実は悩みながら、苦しみながら探してる人だったりもする。でもそれを外のせいにしない、そんなことを見せない美しさに品を感じるのかもしれない。

だからお好み焼きの生地が失敗しても、まともに作れる頃にお腹いっぱいになっても、そんなことは問題ではない。味はおいしかったし。美しく箸をおき、つまみの6Pチーズに手を伸ばす。何事にもこうした美しさをもたないと。そして食べかけのチーズがあるのにまた新しいチーズをかじってしまった。これは全く品がない。今まで一体なんの話をしてたのか、時間を返して欲しいものよ。

この本、中古で安くていろんな人の話が読めるので、おすすめです。お好み焼き食べる前この本読んでて、ベッドに置いてたからこんな話になったような気もする。昼の自分が時間泥棒の正体か。


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