カズオ・イシグロ著「わたしを離さないで」を読んだ。端的に好きな作品だった。あとライティングの技術がすごい。びっくりした。感想を書いておこうと思う。
一人称の語り口調で進められるのでフラットに話は展開されるが、読者の気になるところを先回りして語られてくるので、ひっかかりがまったくなくてスイスイ読み進められてしまう秀逸な描き回し。逆に言えば、キリがいいからここまでみたいな感じで一息つく所がなくて困ってしまう。難しい言い回しもないし、SFだけど違和感もない、小学生から大人までみんな読めるけど奥が深い。さすがノーベル賞作家であることが本作だけでも理解できる。
キャシーという一人の女性の語りで描かれる本作品。内容について触れることは完全にネタバレになるので、この作品感想を描くのが本当に難しい。著者のカズオ・イシグロ氏は、ネタバレ的なことについては些細なことであって重要なことは別のところにあるというようなことをあとがきに描かれていたが、いこれはキャシーの口から語られることですっと入ってくるところは確かにあると思うので、やっぱり確信には触れずに進めようと思う。
このブログでもたびたび触れているけども、人はどうして生きるのか?どうして終りがあるのに、その終わるまでのプロセスに意味をもたせようと振る舞うのか?こんなことがこの作品にはキャシーの物語を通して考えさせられる。
以前、ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」を見たときのことを思い出した。この映画は先進国などで売られているダイヤの裏には奴隷的な扱いを受けながらアフリカの人々の過酷な日常があり、この現実をいかに捉えるのか?という話だった。
ダイヤはちょっと日常とはいい難いけども、まあファストファッション等も同じ問題を抱えている。私達の今の日常を普通に送る裏には、私達から見れば普通ではない日常が存在しているということ、そしてそれに気づきながらも、見て見ぬふりをする、気づいていないふりをするという人間の残酷さのようなものがある。そしてそれだけ思っていても今の日常を捨てることができないでいる。
作中にこんな言葉が出てくる。
「こういうことは動きはじめてしまうと、もう止められません(中略)どうやって忘れろと言えます?(中略)そう、逆戻りはありえないのです」
無から有は生まれることはなく、必ず今ある資源からものを加工して世の中の全ては存在いている。資源は空気中、土中、水中にだけ存在するものではなく、利用されるのは人間そのもの。働くことだって見方を変えれば、限りある時間(つまり命)の一端を商品やサービスを生み出すために変換させていると言える。もちろん生きるためにはその仕事を利用して食料などを調達するわけだけども、それであれば少なくとも自分が決めた仕事の中で全うしたいと思う。
ちょっと話がずれたけども革新的な発明や、技術の進歩はやはり一定の歪を伴うものであると思う。(そしていきなり何かがはじまるというよりは気づいたときには始まっているということが怖い)利益を享受する側がいるということはその煽りを食らってしまう側もいるということにもなる。ただ、この目線も一方向からのもので、偏りがあることを自覚してる。右左も後ろを振り返れば左右反転する。目線を変えれば物事は大きく変わるものだ。
全く本の感想ではなくなってきたけども、「わたしを離さないで」は生きる意味について、正義の在り処について、そしてそれらの受容について考えるきっかけになる作品だと思う。私達はその時がきた時に戻れるのだろうか?
まだ読んでいない方は、ぜひとも手にとってもらいたい優れた作品だと思う。
「わたしを離さないで」
カズオ・イシグロ著
ちなみにブラッド・ダイヤモンド