昨年もこの時期に千住博氏の話を聞いた。今回は「千住博はこうして千住博になった」というテーマで、平たく言うとこれまでの画業の変遷を小さな頃から遡って解説すつというもの。
その中で、よいなあと思ったキーワードをメモしておいたので、おそらくおっしゃているのだろうなあという自分の解釈を含めて、残しておくことにする。ほとんど自分の解釈かもしれないので、独り言レベル。
高野山金剛峯寺襖絵 『瀧図』(部分)2018年 高野山金剛峯寺所蔵(https://www.pen-online.jp/news/art/tad-toyama-senjyu/1
)
・絵はすべて自画像みたいなもの
・高校の頃、足を運んだ展覧会で、絵ではなく、天然の岩絵の具に惹きつけられた。そこから日本画を知った。岩絵の具と共に生きていきたい、副業しながらでもいい。。
・岩絵の具は地球そのもの。その石、様々な天然の赤、青、白い岩、石。つまりそれは宝石。我々は宝石の上に住んでる。惑星が衝突して地球ができた。石も惑星から。そんなところに住んでる
・好きな絵を描く⇛昔から住んでる東京野町、ビル街を描くのが好きだった。だから東北の風景(森)のなかでも真ん中に道路を入れてる。⇛自分の中には何があるのか?ここではないどこかにいきたい、みたかった。
・自分が知っている、自分の中にある「もの」はなんだろう
・時間というものを絵で書く。高速度撮影で捉えた街を描いた。移り変わる看板、高速で走る車。時間を表現できたなら、絵は現代的なメディアへとなれるだろう。
・瞬間を画面に入れる。瞬間の積み重ねで表現する。時の流れをあらわす、永遠の象徴。⇛被写体はビル群から自然へ
・1つの掛け軸に、「木がある道 下見て、そのまま見て、上を見たもの 映像的に。」「すすきと月を1枚で描くのではなく紙を分割して描く」
・キラウェア火山(フラットウォーター)46億年前の景色であり、現在の景色でもある。東洋画において余白とは最も重要な情報、見立て。余白⇛曇り空を暗示⇛くもり空は雨を暗示、海となる元。東洋絵画において余白は宇宙、すべてが詰まってる。(見立て 日本の面白い考え方 このあたりも入ってるかも)
・滝が流れるのは時間が流れてることを表現するため
・死を描くために、、、水がない世界、つまり砂漠をかこうと思った。でも逆にものすごい生の世界だった、自分が生きている喜びを感じられると。僕は生きている、生まれた!水、生物、植物、重力があるからいられる。生をとても意識する環境であった。生きて戻りたいという、戻ってこの絵を表現したい、それで逆に生の絵に砂漠を使う。
・中国の風景論風景に次の4段階がある。行ってみたい風景、遊んでみたい風景、住んでみたい風景、死んでもいい風景。つまり死は、最も美しい風景なのではないか?そんなこともあって死をテーマに描いたのが美しい森の風景。
・カラーの滝(フォーリングカラー)を展示する際、箱から出した順番に作品を並べて展示。その意図は、いかなるものも必ず調和する。調和しない色はない。
・作品クリフの制作につながったきっかけは、傷がついた紙を見て崖に見えたこと。3・11では自分たちで傷をつけた事(おそらく原発などか?)によって不幸を招いたが、そんあことがあっても強く生きていけるように、そこから何かを学べるようにと考えられればいい。(傷ついたことの中にも美は見いだせる。日本人の精神性を表現したい)
・すべての色を重ねると透明になる。色即是空 空即是色的な
総じて、千住博氏は静止画の中に、流れや時間、精神性など普通目に見えない、捉えられないものを投影しようとしてる作家だということで一貫していた。そんな部分が自分的にも好きなところなんだろうなと思った。