塩田千春回顧展「魂が震える」糸って弱くて強い矛盾を孕んだメディウムであるということ


塩田千春の回顧展 魂が震える を鑑賞した。見応えたっぷりで、見終わるころにはお腹は減るし、喉は渇く、思考のスピードも落ちてくる。そんな風に自分のエネルギーを消費してしまう展示だった。

というのはなんとなく説明できる。いわゆる現代アートってなんとも理解しがたいものもあるが、塩田千春の作品は、なんとなくわかりそうな気がするところがあって、これがなんかこう、もうちょっと入ってみてもいいかな、踏み込んでもいいかな、っていう気になってしまってついついぐるぐる回って見て見たり、思考をぐるぐる巡らせてみたりで、わりと一つ一つの作品に時間を使った気がする。

52階から見る景色と、おもちゃたちは大きさが同じに見える。
バラバラになった手と足がびろびろになってもまだ強度が感じられる網状の皮の関係性

展示全体を構成する一つずつの作品なのか、一つ一つの作品の集合体である展示なのか、自分の中では間違いなく後者。同じ意味合いだけど微妙に違う。そう、この辺が違うんだと思う。入りやすいっていうのは現代アートにはめちゃくちゃ大切だと思う。だからメディアで取り上げられていることもとても良いと思うし。

ただ、そこで取り上げられるのは写真映えする空間全体を糸で張り巡らせた作品、これはもちろんメッセージ性もあるし、素晴らしい、でも実際見たり、でも引っかかったり、帰って来てから思い出したりするのはそうではない映像のインスタレーションだったり、ドローイングの作品。闇も見えるんだけど、忘れていた子どもの気持ちのようなものも見えたりする。ここらへんの関係性が興味深かった。

インスタ映え的な、でも実は映えとか言ってられない何かが潜む空間
結界。

なんでこの糸になったのかっていうそのプロセスが見えたような、いやまあでも見えないような。んー循環とかそういうことか?いや、でもところどころに生と死とかそういうことが書かれてたけど、それを言葉通りに受け取るのはなんか違う気がする。生から死への流れだったり、有から無へ、また無から有へのプロセスとかなんかその間の方がしっくりくる。生とか死とかそのものではない。あくまでも流れ。

燃えたピアノを守るように糸が配置されてるのかもしれない

糸ってよい。関係性の最小の単位って感じがする。作家本人も言ってたけどほんと人間ぽい。一本じゃ弱いけど集まれば強い。強くなるけどこじれるとややこしい。だからといって、編まないと強くなれない。矛盾を抱えながら探して行く姿勢が必要なのでしょうかね。もうこういうのは中島みゆき先生に倣うしかないでしょうよ。こんな糸がなんになるのっていいながら、逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼ぶのですから。

バッグではなくトランクが無数に、どこかに続いて行く。

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