熊野古道巡礼(中辺路)15日目:佐野王子(紀伊佐野駅)ー熊野那智大社(那智山バス停)
歩行距離:18.5km(和歌山県街道マップ参考)
本日の王子:浜の宮王子、市野々王子、多富気王子、熊野那智大社
海沿い熊野古道を通って小狗子峠へ
ついに今日が約2週間にわたる熊野詣、熊野古道巡礼の最終日。速玉大社と那智大社の間のエリアにある紀伊佐野のゲストハウスから最終地点の熊野那智大社へ歩き出す。少し苦は厚めだけども今日も天候は悪くない。
ひとまず昨日最後にいった佐野王子(オークワ王子)を目指す。そこからは海が見える海沿いの国道を歩く。途中歩道がないところもあって結構怖い。久しぶりの感覚。4日目に大阪から和歌山に入る峠道と同じ恐怖感(田舎の道は歩くようにできてないのですよね、歩道は作っておいて欲しいもんですね)。
でも和歌山の南の地域はどこも相変わらず海はかなり綺麗(うちの地元の和歌山市の海はそうでもないけども)。山道歩いているのとはやっぱり違う、海は視界が開けてるからね清々しい気持ちで歩ける、あとそんなに勾配ないし楽ちん。
青空と青い海が気持ちを明るくさせてくれる。(ちなみに今日は歩き終わったら、マグロでお祝いをしようと思ってる。那智大社からそんなに離れていない距離に紀伊勝浦というマグロが有名な町が近くにあるのでね。冷凍ではなく生のマグロ。青空よりマグロが気持ちを明るくさせてるんはいうまでもない)
途中で峠があった。小狗子峠というところ。短いのだけども、そこだけはまた熊野古道感。まあでもこの峠は、適度な勾配で雰囲気だけ味わえる感じ。めちゃポップな文字で書かれた看板に教えてもらいながら、小狗子峠に入っていく。わかってるなこの道って感じ。珍しく竹林祭りの道。しかもすんごい荒れている、台風でも通った後のような感じでちょっと怖かったよ。
浜の宮王子を越えるともうそこは那智山!
小狗子峠を越えてまたしばらく海沿いを歩いて、浜の宮王子に到着。昨日は浜王子があったけども今日は浜の宮王子。やっぱりこのあたりの王子は海に関連する名前がつくんですね。
浜の宮王子の説明版の後ろにどっしりと構えている大楠がなんと樹齢800年ですって。リアルに平安時代くらいからここにいたのだねえ。歴代の熊野詣の目撃者と言える。彼に、僕の存在も覚えておいてもらいたいものよ、面白い顔でも見せてあげれば良かったかしら。ということで、ここからラスボスに会うために山に入っていく。ついに那智大社のある那智山へ。
ちなみに今日は、始まりは海沿いの平地から始まり、ラストの那智大社も石階段だしと思って、ランニングシューズを選んで歩いてきたのだけども(トレッキングシューズは宿に置いてきちゃった)、どうやら那智大社の石階段までいくために山道を通らないといけなかったらしい。
履き替えられるように両方持ってきておけば良かったなーと思うけども石階段しんどいらしいし、荷物は1mgでも軽い方がよい。ということで、山道は注意深く、滑りそうなところは極力通らないようにして歩いていくことにする。
途中、北条政子の供養塔があった。北条政子も生涯に2度熊野詣を行っているらしい。もうちょっと字のうまい人に頼めんかったのかなっていう目印が教えてくれた。その目印を通り抜ければ山道もそろそろ終わり、ラスト手前の市野々王子に到着。
大門坂から階段を登り倒して、ついに到着熊野那智大社!
やっとこさ大門坂到着で、夫婦杉に出迎えられる。なんか最終地点って感じがする。ちなみに熊野古道の夫婦杉は高さ40m近くもあるそうです、推定樹齢はこちらも800年ということ。もしかしたらみんな平安時代からいたんですかね。そりゃ神も仏も宿りますわ。日本はわりと自然へのリスペクトある民族だと思うけども、こういうところから来てるんでしょうね。
大門坂からの那智大社は観光客がたくさんいて、記念撮影もところどころで行っている。平安時代風の衣装を貸してくれるサービスもあって、それを着て石段とか歩いて撮影する観光客も多い。前回訪れた時もいたなそういう人。
夫婦杉を通ってすぐにラストの王子、多富気王子がいらっしゃいました。年季の入った大きな石碑でなんというか無骨なんだけども最後にぴったりのような。あとは最終目的地の熊野大社を目指して、ゼーハー言いながら石段を登るのみ!
景色は間違いなく綺麗で、雰囲気もある。那智山は空気も澄んでる。最終地点としては気分的にはもちろん悪くないのだけども、想定していた通りこの石段かなりきついのよ。海沿い歩いてきて、山道を登って、階段をひた登る。結構登る。距離にして約1.3kmということらしいのですけども、測る人間違ったんちゃうの?というくらいもっとありそうな気がするんよ。
そしてようやく大門坂を登りきったと思ったら、その後にもちゃんと那智大社に通じる階段があるのですけど、それがまたつらい。割と角度ついていて急な階段の仕様で、かつ幅も狭いので踏み外しそうになる(私足大きい方なので)。
疲れてるし、荷物持ってるので重心が後ろに、、、振り向いたらまじで転げ落ちそうで普通に怖い。高所恐怖症の人とかはちょっと嫌そうだなってくらいには怖い。足はちゃんと笑ってる。まじで昨日1日でチャレンジとかよろしくない挑戦せずによかったー。
山道とか入ると、距離は短くても想定上に時間がかかったりするので、結構余裕を見て歩いた方がいいってことを改めて実感。もしくは早朝に出て昼過ぎには歩き切るくらい余裕を見ておいた方が、なんかあった時に安心ですな。
ちなみに大門坂は267段の石段、熊野那智大社への参道は467段らしい。疲れている体に染み渡るんのなんのって。
外国人が平安衣装を着て撮影会していた。歩きづらいでしょうにあの格好で400段登ってきたのかよ、記念の撮影には努力は惜しまないのです。
よっしゃーついたー!!!!と思ったらまだ鳥居の向こうに階段ある、どんだけ登らせるんや。でもひとまずはここから那智大社ということですかね。しかしほんとにどんだけ山の上にあるんよってところに那智大社建てたんですね。大工さんまじご苦労様でした。
2つ目の鳥居をくぐり階段を登り終えたら、そこには美しい朱色の世界。最後に来るのにふさわしい場所って感じ。そしてこちらにも大楠が。樹齢850年らしい!夫婦杉よりもさらに50年先輩。完全に平安時代。
那智大社の隣には、那智山青岸渡寺というお寺がある。こちらも世界遺産。那智大社と一体でまさに神仏習合を体現した存在ですね。もともとは一緒だったらしいのだけども、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離したらしい。見るからにすごいお寺って感じ(もう語彙力が乏しすぎる)西日本巡礼の最初の札所ということ。
熊野古道巡礼の旅は那智の滝で締めくくる
那智大社からすぐのところにある三重塔。その後ろに那智の滝が見える。よく観光サイトの写真で使われているアングルで写真を撮ってみる。うーん、いまにも雨が降りそうな気配の空。最後に滝と飛瀧神社を堪能しないといけないので、急いで下山。
登った分と同じ分は降りないといけないのでね。でも最後に滑って怪我でもしたら、思い出がケガしたことで終わっちゃいそうなので、ゆっくり降りましょう、急がば回れって言葉はこういうときのためにある。
しかしさすがは那智の滝。やっぱりすごい存在感ですわ。現地に行くとほんとにこの凄さってのが身に染みて分かります。この熊野古道を含む世界遺産が文化と自然とが一体になって登録されている意味が分かりやすく理解できる場所だと思う。
ちなみに那智の滝は、那智御瀧と言うらしい。そして滝の高さは133mもあって、なんと1秒間に約1トンの水が流れてるらしい、ざっくり10分くらいは眺めてたから、600トンくらいの水が放出されてたということか。無意味な計算してみる。更に無意味だけども一般の浴槽って250リットルくらいらしいので、この時間で2400回風呂のお湯かえたのかってなった。
ここまで、大阪の天満橋から15日間の旅。全部でざっと280kmくらい歩いたでしょうか。実際に歩いてみた熊野古道の印象は道を「歩く」というよりも山道や坂を「登る」という方がしっくりくる旅でした。とにかく体力使ったところが印象に残っています。まあそりゃそうか。
大変だったことも良かったことも両方ありますけども、大変だったことの方が多いかなーそんな印象。あと誰も歩いていないということね、実際に歩いてみて、こんなに少ないんだっていう感想、本当に。実際ほんとに短い距離でも歩いていたのは本宮大社までの道しかいなかった。那智大社は道ではなく滝と那智大社を見にている観光客だし、速玉大社は人がそもそもあんまりいなかった。もう少しこの道を歩く人が増えてもいいのになーと思います。大変なこと多いけど。
ということで、熊野古道の旅はこれにて終了。最後に紀伊勝浦のマグロで一人お疲れ様会をして締めくくりたいと思います。(那智山から紀伊勝浦までバスが出ているんですよ)みなさんもぜひ一度は訪れみてください!山が多いので計画はきちんとたてて。
歩いてきたダイジェストや感じたことなどは以下のページまとめています。
この旅で食べたものとかは、以下のページでまとめてアップしています。
【熊野古道(紀伊路・中辺路)2週間280kmの歩き旅】
2023年12月4日から約2週間、熊野古道を280km歩いて旅をしました。ここではその旅のまとめ、僕自身の備忘録として、熊野古道巡礼(熊野詣)に関する事前知識や宿泊情報、費用、日々の記録などをまとめています。熊野古道のリアルな情報にご興味ありましたらぜひご覧ください。