【京都芸術大学/学芸員課程履修レポート公開】文化研究2

こちらでは、通信にて京都芸術大学の学芸員過程で履修したレポートをアップしています。

今回は学芸員過程の科目の1つである【文化研究2 第二次大戦後のさまざまな日本の大衆文化を通じた、現代社会のありかたの考察】についてです。

京都芸術大学の学芸員過程選択科目:文化研究2のレポートテーマ

学芸員過程の選択科目【文化研究2】のレポート提出課題における、シラバス記載の到達目標は次のようなものです。そのまま引用します。

 身近にある物事から、第2次世界大戦後の日本社会を考察する能力を培うために、戦後の大衆文化を様々な視点から分析した論考を読み、そうした文化が社会で起きた出来事の歴史であるのと同時に、生活者である私たち個人の歴史でもあることを学びます。 また、これら二つの歴史がどのような関係にあるのかを探り、それらを記述する方法について考えます。 戦後の日本社会のなかでかたちづくられてきた人とモノとの関係を考え、今日の私たちの暮らしのなかに見られる文化的な特徴や特質について理解を深めることを目標とします。 そのために、戦後の日本で広く普及したものごとを、文化という視点で読み解き、流行や美意識などの観点から検討できる力を身につけます。また、大衆文化をとらえる視点を養うために、考現学を中心とした風俗研究の手法についても学びます。
京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)シラバス2021から引用

戦後大衆文化論をテキストとして参考にしてフィールドワークをしながら、以下の設問についてレポートを作成していきます。

【設問1】 あなたの住む町や身のまわりを観察して、おもしろいと感じたモノや文化的な事象を選び、写真を撮影してください(2枚~3枚程度)。 それからその写真をレポートに添付し、キャプション欄に写真のタイトルを入れてください。

〈例〉ある団地をテーマに選び、団地の全景と団地の看板を撮影した場合 (写真1 )昭和レトロな◯◯団地 (写真2)◯◯団地の看板 つづいて設問1の本文記入欄に写真のデータ(撮影場所、撮影した日時、天候等)をまとめ、写真の見どころやおもしろさについて説明してください(400字程度)。 タイトルのつけ方ひとつで写真におもしろみが増すこともありますので、いろいろと工夫してみてください。

〈例〉 (写真1)撮影場所:◯県△市、撮影日:2017年◯月◯日、午後◯時頃、天候:晴れ △市の郊外にある◯◯団地の背後には、うっそうと茂る深い森が見えている。団地の高齢化が進んでいるせいか、人の姿はほとんど見えない。 (写真2)同場所、同日、同時刻、晴れ 古びたタイルに団地名が浮かびあがっていて、たいそうおもむきがある。

【設問2】 なぜその写真を撮ることに決めたのか、そのときのあなたの気もちや考えをまとめてください。(400字程度)

【設問3】 撮影した対象物の歴史や成り立ちについて調べ、まとめてください。 例えば、「名曲喫茶」という看板がつけられた古い喫茶店を撮影した場合、「昭和○○年代、音楽を楽しみながら珈琲を飲むことができる「名曲喫茶」が登場した。当時はレコードが高価であったため、新しい音楽を聴くことができる場所として若い世代を中心に人気をはくした。・・・。」というように、そのモノや文化についてくわしく説明してください。(1,800字程度)

【設問4】 設問3をまとめるにあたって発見したこと、感じたこと等をふまえ、考察をまとめてください。(600字程度)
京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)シラバス2021から引用

【設問1】 あなたの住む町や身のまわりを観察して、おもしろいと感じたモノや文化的な事象を選び、写真を撮影してください(2枚~3枚程度)。 それからその写真をレポートに添付し、キャプション欄に写真のタイトルを入れてください。

 (写真1・2ともに)
撮影場所:東京都台東区浅草
撮影日:5月6日17:50頃 天候:曇り

「ニュー」がつく店を撮影した。大抵「ニュー」がつく店舗は新しさよりも、逆に古さを感じさせる。言葉の矛盾とその佇まいで十分個人的には味が出ていて満足度が高いわけだが、それぞれ次のポイントも興味深かった。(ただし現在コロナウイルスの影響で2店舗ともに休業していた)

(写真1)は看板のフォントに下町の印象を持つ。また赤提灯という大衆居酒屋の代名詞でもあるシンボルを活用してることにも飲み屋巡りが好きな身としては好感を持つのではないか。

(写真2)は看板のフォントが時代を感じさせる。看板下の軒にもホテル名が書かれているが、看板とフォントが異なっており、このこだわりのない感じが設定している大衆料金を裏付けるような効果があるように感じられる。看板に直接「大衆料金」と記載しているところが潔くて良い。

本文総文字数386



(写真1)新しくて古い?古くて新しい?「ニュー」の不思議_飲食店版

 


(写真2)新しくて古い?古くて新しい?「ニュー」の不思議_ホテル版

【設問2】 なぜその写真を撮ることに決めたのか、そのときのあなたの気もちや考えをまとめてください。

今年の4月に私が浅草に引っ越したことで、浅草の街をこれまでの観光者目線に加えて、地元民目線で見る機会を得た。観光地化される街には、その過程で地元民が立ち退いてしまうこともあるが、この街は食事をしていても観光客の隣に地元のご夫婦が座っていたりする。新旧の文化が調和した印象を持った。

そんな中で、ふと目に止まったのが「ニュー●●」という店である。これは浅草に限ったことではないが、大抵「ニュー」がつく店は古い。新しいという意味のはずの「ニュー」がつくことで逆に時代性を感じさせ「当時はきっと新しかったのだろう」と私が体験していない当時の風景に想いを馳せる。

しかしどうしてこんなにも「ニュー」がつくお店が多いのであろうか。お店を始める際は新しいのが当たり前なのに、どうしてわざわざ新しいという意味合いの「ニュー」を頭につけるのか。店名における「ニュー」の意味合いを不思議に感じたことが撮影のきっかけだ。

本文総文字数398字

【設問3】 撮影した対象物の歴史や成り立ちについて調べ、まとめてください。 例えば、「名曲喫茶」という看板がつけられた古い喫茶店を撮影した場合、「昭和○○年代、音楽を楽しみながら珈琲を飲むことができる「名曲喫茶」が登場した。当時はレコードが高価であったため、新しい音楽を聴くことができる場所として若い世代を中心に人気をはくした。・・・。」というように、そのモノや文化についてくわしく説明してください。

今回の対象物は「ニュー」に注目して「ニュー栃木屋」「ニュー浅草」の店構えを撮影した。【設問4】 において店名における「ニュー」にはどのような意味があるのかを考察するために、この2店舗の現在の状況と過去の歴史・成り立ちと創業時の時代背景についてまとめる。

(1)対象物について

■ニュー浅草(1959年創業)
1959年に創業した浅草駅からすぐの昼飲み(11時半オープン)ができる老舗居酒屋。1階がカウンター、2階はテーブル、3階は座敷と用途によって使い分けができ、かつリーズナブルな価格設定であったため地元民やサラリーマンや観光客に人気があった。畔上商事株式会社が運営しており、浅草を本店として都内に複数チェーン展開をしていたが、現在は閉店している店舗も多い。ちなみに当時の居酒屋はそのほとんどが個人経営であったが、1950年代後半からアメリカのフランチャイズ方式を導入し始める流れが起こりチェーン店化する居酒屋が増えたようであるが、年代を考えるとニュー浅草もその流れにのったはしりの企業だとも言えそうだ。現在はコロナウイルスの影響で休業中。

■ニュー栃木屋(1960年代前半創業 推定)
大浴場、サウナを完備したビジネスホテル。アクセスが良く、価格面をおさえていたことでリーズナブルな宿泊施設としてビジネスマンを中心に人気があった。宿泊情報サイトでも平均点以上の高評価(楽天トラベル 5点満点中4.18 /トリップアドバイザー5点満点中3.5   2021年5月8日現在)であった。正確な創業年の記載が調べきれなかった(現在閉店しており、HPが存在しないため)が、フェイスブックの企業ページには、2015年段階で50年以上前に創業と記載されていることから、1960年前半であったと推察される。現在は休館中であり、再開のめどは立っておらずビルも取り壊されるそうだ。

(2)対象物と「ニュー」を取り巻く時代背景について

■時代背景について
撮影した2店舗ともに創業年は1960年前後であり、いわゆる高度経済成長の時代だである。当時は東京オリンピックの開催、高速道路、東海道新幹線の開通などで日本人の生活が大きく変わった。何よりも経済発展が優先される時代であり、この流れでサラリーマン人口が就業者の半数を占めるようになった。流行語となった「もはや戦後ではない」の通り、戦後間もないとは思えないほどに国に勢いが見られ、東京オリンピックなどの国際的なプロジェクト、経済成長によるビジネスの拡大と所得の増加からホテル需要や外食需要も大きく伸びることになった。一方で戦後の日本は復興が進む中で教育や住環境、食事などいたるところに欧米文化が入り込み、生活様式そのもの大きく変化することになった。その影響もあり外国語(カタカナ語)も急激に増えることになった。

■外国語(カタカナ語)について
そもそもの外国語は明治維新以降に本格的に使われ始めたが、文明開化時には各国の文化や技術に紐づく形で大量の言葉が輸入されたことで翻訳作業が追いつかずに、翻訳や当て字なしでカタカナ語で広まることとなった。このほかにも当時カタカナ語が浸透した理由は2つある。1つ目は一般的に外国語を自国に取り入れる際は、翻訳して適合する言葉を当てるが、しっくりくる言葉が見当たらなかったりするとき。2つ目は大量の漢字になってしまった場合、書く作業が大変になるためであった。現在ではカタカナ表記を見るだけで、外来の言葉という異質性を感じるようになったのはこうした流れによるものであろう。

■ホテルニューオタニの「ニュー」について
店名における「ニュー」の意味を紐解くための参考として同時期の1964年に開業した日本の代表的なホテルであるホテルニューオータニの「ニュー」についても調べた。HPより抜粋したものを引用する。

ホテルニューオータニの「ニュー(NEW)」には、常にホテルが新しくありたいという創業者の想いから名づけられており、何年経ってもお客さまを新鮮な気持ちでお迎えする、常に新しいことにチャレンジしていく、という意味があります。私たちはこの「ニュー」の遺伝子を開業以来、諸先輩方から引き継いでまいりました。(HPより抜粋)

本文総文字数1723

【設問4】 設問3をまとめるにあたって発見したこと、感じたこと等をふまえ、考察をまとめてください。

調べた情報から考えれば「ニュー」は単純に「新しい」という意味で使われてはいないようであった。そもそも創業=新しいということであり、わざわざ「ニュー」をつける必要はない。店名やサービス名などに「ニュー」が使われるのは、バージョンアップや建て替えといった(リニューアル)という意味合いが多い。

であれば創業時における「ニュー」は言葉の意味よりも、頭に外国語を取り入れることを目的にされたのではないだろうか。外国語を冠することで、グローバル化していく時代の流れに乗ることができたのではないだろうか。その際「ニュー」という単語が選ばれたのは、これからの新しい時代を作っていくという気持ち、期待感を表現する上でフィットしたのかもしれない。

また企業経営は半永久的に存続させることを目標に行われるべきものであり、良質な企業には必ず信頼を培ってきた歴史がある。つまり歴史がブランドを構築していると言っても過言ではない。その視点に立てば、現在において「ニュー」を冠して事業を行っている企業は、名前を聞くだけで古さ(歴史)を認識させる効果があり、ひいては老舗感を匂わせることができる。

当時は先進性を、そして時がたった今は老舗感を伝えられる言葉が「ニュー」なのではないだろうか。こうした短期から長期に渡って効能を発揮するネーミングを狙ってつけていたなrば当時の商人魂は恐ろしいなと思う次第である。

本文総文字数586

 参考文献

※参考にしたWEB 情報はすべて2021年5月10日時点のURLです。

 

レポートをリライトして記事にしています

本科目については、このブログでリライトして1つの記事にしましたので、若干形式や言い回しは違いますが、以下のページをご覧いただければと思います。 面白いテーマの科目でしたので、ブログにもアップしたくてリライトしてしまいました。

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