僕らは子供にも責任をもつ必要はない

年を重ねるごとに、守るものが増え、自由がきかなくなる。好きな事はやりたいが、制約が多すぎる。こういうことを思ってる人は多いと思う。結婚して、子供もいればもう自分だけの体じゃない、自分の好きに、人生なんて送れない。こう思ってしまうのもわからなくはない。

それでもあえて自分だけの人生だということを訴えたい。極論的に言うと、子供や親、友人とパートナー彼らに責任を持つ必要はない。

■やっぱり人生は自分だけのもの

最初の話に戻りますが、子供のために好きな事を我慢する、これは裏を返せば子供がいる事により、自分の気持ちを表現できないということになります。つまりできないことを子供のせいにしている、子供さえいなければ好きな事ができるのにと、できない理由にしていると考えられる。

こんな話をききました。

子供のため、家族のため仕事をがんばったお父さんの話。

家族に不自由のない暮らしをさせるため、他の家よりも豊かに生活できるように仕事一筋でがんばってきたお父さん。でも子供が自立したあと残ったものは、自分たちだけで住むには大きすぎる家と、普段乗るには贅沢すぎる高級車。自分の人生なんだったのか、おもしろかったと言えるのか、過ぎた日々を振り返る後悔の気持ち。

そして、ふとそんな愚痴をこぼされたその子供。子供からすると、たまったものではないはずです。自分のせいで、父親の人生を台無しにしたと、思っても不思議はないです。お互いが犠牲者になってしまいます。

この話をきいたとき、人生最後は自分だけのものでもあるとの考えに至りました。自分の人生を彩る要素として、様々な関係が構築されるでしょうが、どこまでいってもやっぱりその人の人生を生きる事はできないのです。

■頼れるのはやっぱり自分だけ

まわりのことを考えるのは純粋にまわりのことを考えているのではなく、
考えていないとまわりからどう思われるかわからない、そんな後ろ指さされるのはいやだという気持ちを優先させたため、つまり周りからの評価を選んだということ。

高度経済成長時代は、作れば売れ、流れに乗れば自動的に高みに昇っていく、順番待ちはあるけれど、約束されているし、上の人が面倒も見てくれるという世界でした。しかし今はもうそんな時代ではありません。これまでの価値観で周りからの評価を気にしていて生きていても、切られるときはあっさり切られてしまいます。ここぞというときに頼れるのはやっぱり自分だけ、自立して生きていく必要があるわけです。

だから自分がやりたいのであれば、家を買ったところだろうが、家族がいるだろうが、やりたい事があれば、やってしまっていいんじゃないでしょうか?転職しようが、独立しようが、今思った事をやってしまえばいいんじゃないでしょうか?だって最後に頼れるのは結局自分です。遠慮する必要はありません。無責任かもしれないけど、せっかく生まれて、生きてるんだから爪痕くらい残したい。

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