地元の良さに気付ける目を養う

こんにちは、いむりんです。少し前になりますが、世界一周をテーマに活動をしてきた若者たちが「日本のこれからの世界との関わりについて」というテーマで、「レイヤー化する世界」の著者佐々木さんとディスカッションするというトークライブにいってきました。

これがなかなか面白かったです。海外を旅するなんて数日の旅行程度の経験しかした事のないぼくなので、とても新鮮にお話を聞く事ができました。トークの中で、こんな言葉がありました。「日本の常識は世界では非常識だ」ということです。この言葉にとても興味を持って、このエントリを書くにいたっています。

■当たり前が、実は当たり前でないという事を知る

「日本の常識は世界では非常識だ」という言葉に関してですが、サービスやおもてなし、伝統工芸品など文化的なことだけを指している訳ではありません。例えば身近な例ですが、日本では100円程度のお菓子がとてもおいしいということ、しかもそうした商品が安定的にコンビニで24時間買えるなどの日常生活レベルですら他国と比べると異常だということです。

こうした気づきというものは他国を経験してはじめてわかる事であって、日本だけをよく観察したところでわかりません、改めて、比較してきちんと認識するだけで日々の捉え方がずいぶん変わります。当たり前にあるものが、実は当たり前ではないんだと認識することができるようになります。

この言葉に、地方出身の自分に思うところがありました。同じく地方出身者の方にはぜひ考えてもらいたいなと思うのですが、例えばぼくは和歌山の田舎出身なのですが、地元のいいところなんかを聞かれたとき、ぼくは「いやー何にもないところで、紹介するほどのものなんてぱっと浮かんでこないです」とかよく言ってしまっていたりしています。

どうでしょう?こういうことよく言ってませんか??

けど、これって実はとってももったいなくて、とっても危険な事なんです。自分たちが当たり前だと思っていることでも、外の人からするととても新鮮なこともあるだろうし、珍しいこともあると思います。そうしたことに気づかず、情報発信せずにいると、その当たり前にあった存在そのものが中長期的にはなくなってしまう危険性があります。

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(1)いいところに気づかない 

(2)周囲に発信しない(必要性が感じられない) 

(3)県外、海外の人に知られない

(4)大切と感じる人が生まれない(増えない)

(5)必要性がなくなり、いいところそのものがなくなる
  (その他のものにとって変わられる)
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必要性がなければ(感じられなければ)なくなってしまうのは当然のことです。維持するための手間や費用をかけなければ当然廃れていきますし、何か新しいものを設置するとしたとき、簡単に失われてしまい、地域の独自性がなくなってしまうことにもつながります。

昔は地域特有の商店街がにぎわっていましたが、ご存知の通り商店街にはシャッターがおり、今は大型のショッピングモールしかないような状態です。あっちの地域に行っても、こっちの地域に行っても同じお店、同じ物しか売っていない、機械的なコミュニケーションしかないというのは寂しいものです。なくなってからではもう遅いんですよね。

■地域特有のウリ(独自性)をみつける

もっと自分たちで日本のいいところ、地域のいいところを意識的に考えていかないと、今の当たり前を保っておく事はできません。まして地域活性化ということで町おこし活動を行っている自治体などは、地域の良さをみつけるためにも、たくさんのスポットに足を運んでみることだと思います。「日本の常識は世界では非常識だということ」この言葉がそのことに気付かせてくれました。

よく海外行く人なんかは回り回ってやっぱり日本が一番との声をよく聞きますが、それは日本しか知らずに日本がいいと言っている人たちとは違います。地元だけを見て、何もないと諦めてしまうのではなく、地元の良さを理解するためにいろんな地域を見て回ったり、ふれあったりする事が大切ですね。

新しいものもいいですが、古き良きものはきちんと残していきたいです。

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