ウロボロス


先日、ゴーギャンの代表作の以下のタイトルをつけたエントリ「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を書いた。

この作品のタイトルはとても直接的かつ本質的で、こんなものをタイトルにした作品を書き上げてしまうアーティストの存在は本当に素晴らしいものだと思う。

僕自身、私たちはどこから来たのだろう?何のために来たのだろう?そしてどこに行くのだろう?このような問を日々考える。ある人に、現代人、特に先進国に住む人間にしかこんなことは考えないのでは?現代病であり、先進国病じゃない?なんて言われた。そのとおりだと思う。そんなことを考えてしまえる余裕があればこその苦悩だ。

今は、全てに意味を求められる世の中だ。
ただ生きることの意味がわからないのだ。

何をやりたいか?何をすべきなのか?特に社会に出てからは主体的な姿勢を求められる。しかし生まれてくるタイミングはとても受動的だ。少なくとも今自覚している自分には、何らかの意志があって生まれてきたわけではないのだ。

人は生まれ変わる、魂はつながっている、そのミッションは決まっている、そんな話を聞くこともあるが、そうだとしてもそのはじまりはいつなんだろう。はじまりのはじまりはどこにあるのだろう。はじまりの連続する世界に終わりはあるのだろうか。終わりがない世界にはじまりはあるのだろうか。始まりと終わりがない世界、それは「0」なのだろうか、もしくは「∞」というのかもしれない。思考はぐんぐん旅をする。

そう言えば、無限∞は0を2つくっつけたような形をしてる。終りと始まりが同じだ。偶然ではないだろう。

ウロボロスというシンボルがある。Wikipediaにはこんなふうに書いている。

ウロボロス (ouroboros, uroboros) は、古代の象徴の1つで、己の尾を噛んで環となったヘビもしくは竜を図案化したもの。ウロボロスには、1匹が輪になって自分で自分を食むタイプと、2匹が輪になって相食むタイプがある。2匹のタイプの場合、1匹は何も無い素のままの姿だが(王冠を被っているタイプもあり)、もう1匹は1つの王冠と1対の翼と1対の肢がある。ヘビは、脱皮して大きく成長するさまや、長期の飢餓状態にも耐える強い生命力などから、「死と再生」「不老不死」などの象徴とされる。そのヘビがみずからの尾を食べることで、始まりも終わりも無い完全なものとしての象徴的意味が備わった。 

こうした超越的で概念的な具象について考える時、私たちが生きている世界とは本当に米粒よりも小さな箱庭のようなものなのだろうと思う。

無限に広がる空間、時間の中で様々な制約を課されて生きている私たち地球の生命体とは一体いかなる意味を持つのか。どのように解釈できれば限りない時時間の中で限りある生を全うできたことになるのであろうか。

思考もぐるぐるとまわり続ける。


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