同意を求めすぎると孤立する


あるべき論者に関して先日触れたところですが、自分の価値観でしか物事を測れない、その物差しの正当性を認めさせようと話題をふってくる方もいらっしゃいます。どこかで今の自分は間違ってないんだと確証を得たいという心境からか、もしくは本当に自分自身が全く持って正解であると、他の道はあり得ないという気持ちからでしょうか。僕はそう言う人といると疲れてしまって、なんと言うか力を吸い取られるような感覚になってしまいます。

ちなみに僕は「いろんなモノの見方があってもいいのではないか」というスタンスで、人と接するようにしています。しかしながらある事柄について、議論していて、僕のスタンスをお話する機会があっても「でも○○な場合は△△ですよね?」と半ば強引に意見の同意を求めてくる方もいらっしゃいます。そうなると、こちらとしては「そうだね」と言うしかなくなります。(その「そうだね」の対象は、心の中ではその人自身に変わっています「あなたみたいな人もいるよね」と。)そうすると僕は極力関わらないでよい方向に持っていくように努力をするようにしています。

同意を求めるという事は、ある意味で仲間になってもらいたい、わかってもらいたいという気持ちがあるんじゃないかと考えます。そうであるのであれば、逆に同意しなければ、わかってもらえない、仲間ではないという事にもつながりかねません。仲間を捜しているはずなのに、自分から線引きしているという事にもつながるんじゃないかと。。。つまり、仲間を増やそうとして、離れてしまうということもあるということもあるんじゃないかと思うわけです。

みんな異なる価値観、背景を持っているからいろんな人がいるじゃないかという意識でいる方が、よっぽど仲間の幅は広がりそうなものです。

という風に思っている自分もまた、「価値観それぞれ原理主義」に陥らないようにゆるく、柔軟に生きていこうとまた心新たにする機会とすることにします。ちょっと愚痴っぽくなってしまいました。ほんと人はいろいろ、力を吸い取る人より、与える人になりたいなと思います。


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