画像で見る「幻の写真家ヴィヴィアン・マイヤーとは何者だったか」


ヴィヴィアン・マイヤーという幻の写真家がいます。最近ドキュメンタリー映画が作られて日本でもじわじわときています。さて、アーティストというと、少し浮世離れしていて、自分のが信じる、表現したいものに向かってまっしぐら。なんかそんな印象あるんですが、素直にそれに当てはまるかというと、ヴィヴィアン・マイヤーは少しだけ違うイメージがあります。

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ヴィヴィアン・マイヤーの自撮り写真
これ以降の写真はVivian Maier_Maloof Collectionからお借りしています

■死んだ後に写真家に「なった」ヴィヴィアン・マイヤー
何で幻かというとですね。死して名を残したアーティストはたくさんいると思いますが、例えばゴッホは当然、生きている間(死ぬまで)も画家でした。しかしながらこのヴィヴィアン・マイヤーは、2009年に死んだ後に写真家に「なった」んですね。

その始まりはシカゴのコレクター?歴史家?のジョン・マーロフという青年がオークションで大量のネガを競り落としたところから。その競り落とした写真はとても素晴らしく、でもどこの誰が撮ったのか全くわからない。

 

August 16, 1956, Chicago, IL Undated

 

誰が撮ったかはわからないけどマーロフ氏はこの写真の素晴らしさを見ぬき、WEBにアップしだすと、たちまちの大反響!マーロフさんは思います。「やっぱり誰だ!この写真家!?」ということで、競り落とした物品の中から手がかりになるものを辿りに辿ってなんとか、ヴィヴィアン・マイヤーという名前であることが判明。

でもそこからがまた大変、検索しても全くヒットしない、挙句のはてヒットしたと思ったら数日前に死亡。。。そこから彼女をめぐるドキュメンタリーを制作しながら、ヴィヴィアン・マイヤーとは一体何であったのかを探求していきます。それこそドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」のあらすじなわけなのですが、今ではマーロフ氏が、彼女の写真を世に出すためにいろんな活動を精力的に行っており、映画もその一端というわけですね。こちらのHP(vivian maier)でヴィヴィアン・マイヤーの写真が見れます。

July 1956

June 27, 1959, Asia

1959, Grenoble, France

■発表されなかった写真たち
何が不思議かって、彼女は最後まで自分が撮り続けた作品を世に発表しませんでした。(マーロフ氏によって10万枚を超えるネガが発見されましたが、発見されなければ・・・死!)その理由は様々考えられますが、真相はわかりません。普通なら自分の作品として世に出したい、認められたい!と思うはずですよね?それがアーティストってもんですよね?たぶん。むしろ社会に対して意見するというか、こういう見方もあるんだ!という風に主張する。「芸術は爆発だー!」と言ってそうな人がまさにアーティストっぽい。ですよね?

それでいくと、彼女は既存の芸術家枠に入らない特異なタイプだと言えます。社会に自分の内側のものをぶつけるということではなく、世にあふれているのものを自分の内側に取り込むというか。。。(写真家という特性もあったかもしれないけれど)うーん何か逆?表現しないアーティスト。もはやアーティストといえるのか、それ。

 

Christmas Eve 1953, East 78th Street & 3rd Avenue, New York, NY

Undated, Chicago, IL

 

■彼女はファインダーを通して何を見ていたのか?
絵は言わば0の真っ白いキャンバスに自分で100点をつけられるまで、表現していきますたぶん(もしかしたら100とかはないのかもしれないけど完成を100とするならということで)が、一方写真は既に出来上がった今あるものを切り取る作業。今あるものはその時点では100点なわけで、その100点にどんな味付けをするのか、意味をもたせるのかが写真家だと個人的には思っています。

そして彼女の場合、人が被写体。世の中に80点の人なんていないわけで、みんな100点!100点の人をどんな100点にするのか?その人はその人のままで完璧で、怒っていても笑っていても、その人の点数が変わることはない。病気になったって、家がなくなったって100点。100点のその人の家がなくなっただけで100点には違いない。

必ずしも幸せそうな写真ばかりではないけども彼女の写真は、なんというか本来なら悲しいというか、同情しそうなシーンであっても少しだけクスっとしてしまいそうな、そんなことが許容されそうな「あそび」があるように感じる。それは、肩書や富なんかを除いた人間の本質というものを追い求めた結果なんではないかとぼんやりと思ったりするんです。

September 24, 1959, New York, NY

1959, Grenoble, France

Undated

写真とは被写体とその被写体を取り巻く環境の調和、お互いが影響しあう世界観、これをどう切り取るか、みたいなことだと思っていましたけれど、なんかそんな小難しかったり小賢しいことではなくて、素直にそのもの、その通りに撮ればいいんだよと言われた気がしてしまいました。

彼女の写真から感じられるのは、喜怒哀楽なんかの感情や雰囲気、オーラとか何か醸し出ているといったようなものではなく、例えるなら無臭という匂いがあるならばそんなイメージのものを感じさせるそんなイメージです。

May 16, 1957. Chicago, IL

Undated, Chicago, IL

 

■凸凹でもいい。全てが個性という自分らしさ
彼女は表の顔はベビーシッターでした。その傍らで写真を取り続けたのですが、なぜベビーシッターという職を選んだのか?もちろん当時の時代背景や自由度なんかもあったとは思いますが、それ以上に無垢で剥き出しの人間、飾らない仕草、振る舞いというものに興味があったんではないかと思うんですよね。(実際は一般的な人と比べると問題も多く、業務や素行においても負の側面もあったそうですが。。。)

僕は、人間というのはプラスマイナス0になるように出来ていて、ごくごく平均的なバランス型の人がいれば、どこかが飛び抜けている一方、欠けているところがあるような凸凹型の人もいると思います。ヴィヴィアンはまあ後者だと思います。彼女のような自分だけの世界観を持つことはとても素晴らしいと思いますが、でもそれが故におそらく常人には理解できないような葛藤もあったことでしょう。

July 10, 1959, Aden, Yemen

1959, Kochi, India

August 22, 1956. Chicago, IL

マーロフ氏のサイトVivian Maier_Maloof Collectionから画像をお借りしてきていますが、どれも素晴らしい写真ばかり。ただの作品として、見てみても十分に楽しめますが、彼女の表現したかったもの、またそれについてくる葛藤を推し量るように作品を見ればまた違ったものを感じられるかもしれません。

ちなみに彼女が使っていたとされるカメラ「ローライフレックス」を詳しく紹介しているページを見つけました。

このカメラはファインダーが上についているために通常の一眼レフのように誰かに直接カメラを向けると言うよな感じではないので、ストリート向きだそうな。しかも上からでなく、下からまくりあげられるように撮れるので迫力もでる。だから彼女の写真からは臨場感や迫力を感じる事ができるんですね。

May 1953, New York, NY

 

January 26, 1955, New York, NY

もっと素直に撮ってみてもいいかもしれませんね。うまくというよりも楽しく撮ること。なんのために撮るかというとやっぱり自分のために撮るんですからね。

 

1004_may_5th_1955

しかし、このセンスよ。


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