2022年度京都芸術大学写真コース卒業制作「ネオ浅草」

2022年度 卒業制作は次の作品を出しました。

 

 

「ネオ浅草」

私は、写真を学び始めた頃から、
一貫して「見る」とはどういうことなのかを考えている。

近代言語学の父といわれるソシュールは物の認識・知覚は、
言葉という枠組みを与えられて初めて成り立つという見方を示した。

言葉が世界を構成し認識を作るならば、新たな知見を獲得し
認識の幅を広げることで、見える世界もまた変わっていくはずである。

私達はこれまでの経験や学習によってアップデートされた
独自のフィルターを通して、現実を見ている。

2年前、私は観光地として知られた浅草に引っ越してきた。
この2年で培ったフィルターを通して、浅草を描き変えてみようと思う。


B0サイズ カラープリント

 

これまで私は、一貫して写真を通して「見るとはどういうことなのか」を考えてきました。見ることを掘り下げていくと、まず言語学の父ソシュールの記号論にたどり着きました。記号論は、人間が意味づけをする行為や意味を読み取る行為を意味するなどの研究分野です。

これは社会構成主義の考え方に非常に近いと思いました。つまり「現実」だと認識しているものは「社会的に構成されたもの」で、「現実」は目の前に存在しているわけではなく「構成されたもの」だということです。例えば、「怒り」や「悲しみ」という言葉があります。私たちはこの言葉に共通理解を持っていますが、これらは実際に形があるわけではありません。言語を操る種族の間で、この言葉はこういう意味にしようという認識を作ったからです。そして、その構成作業の多くは言語を用いて行われています。つまり私達は、社会が構成した共通認識(言語)で世界を見ています。

これに加えて、個人単位でも、これまで培ってきた経験や学習によって自身の知見は深まっています。つまり社会的な構成要素に加えて、アップデートされた自分なりのフィルターを通して、現実を見ているということです。この考え方に沿うと、写真制作には認識を形にする言語情報が不可欠です。むしろこの認識を形にする言語こそ、写真の真髄だという見方もできるのではないかという気さえしています。

私は2年前に浅草に引っ越してきました。この2年で様々な経験をしてきました。今回、多くの人がイメージするであろう浅草の姿を、自分自身のフィルターをかけてネオ浅草として発表したいと思います。

この作品は社会的な共通認識や先入観、植え付けられた記憶などが、新たな知見や体験をもとにリライトされていくという作品です。インプットが増すことによって、それに比例して文字量も増えるはずなのでその上に載せた画像の解像度も上がっていくことになります。

これは逆に言えば、私たちは、目の前の事象を一側面から見ただけで、見えた気になったり、わかった気になることへのアンチテーゼでもあります。偏った思い込みや、自分の目で見ることなく情報を鵜呑みにしてしまうことへの注意喚起です。

全てを網羅する真理のようなものは見ることはできないだろうけれど、せめて見えていないということに自覚的になり、向き合おうとする姿勢、それを続ける意識を持ちたいですね。
最後になりますが、眼前の世界は自分自身と共に更新し続けているということを観察する行いこそが「見る」ということなのではないかと思うのです。

 

作品中の文面は以下の通りです。(10,039文字)

ネオ浅草への記録

 浅草に住んで2年が経とうとしています。僕は東京にかれこれ15年程度住んでいるんですが、これまでは西の方にしか住んだことがなくて、東側に住むのは今回が初めてのことでした。せっかく東京に住んでいることもあるし、もともと東京の下町の文化というものにも興味があったので、2年前引っ越しを考えているときは、当時住んでいた世田谷エリアを中心に台東区や墨田区などの下町と言われているエリアも含めて探してみることにしました。すると、偶然浅草の物件が条件にピタッと当てはまったので(というか浅草の物件しか条件にはまらなかったのですが)物件との出会いはご縁だと言いますし、そこから浅草生活をスタートすることになりました。ちなみに浅草に引っ越すときに今の物件に決めた理由は、隅田川の花火大会が自宅のベランダから見えそうだったからです。ただ、コロナ期間は花火大会が中止となって、いまだにその時の想いは実現していません。今年こそはとその季節が来るたび思っているので、そろそろ実現して欲しいものです。

 浅草は日本でも最も有名な街の一つだと思うのですけど、引っ越してからの2年の経験を経て、その良さについて改めて感じられてきたように思います。いや、良さを感じられてきたと言うよりも、住む前と住んでからでは印象は大きく変わったという方が正しいかもしれない。もちろん浅草は以前から下町文化と観光文化が融合した非常に良い街だとは思っていたのですが、実際に観光で訪れていた時と住んでみるとでは大いにその印象は変化することになりました。浅草に住むまでは、観光目的で何度か訪れたことがありました。隅田川のほとりを歩き、浅草寺にお参りをして、ホッピー通りで一杯ひっかけるというまさに観光客のためのルートといった感じで、毎回似たようなルートで遊んでいた気がします。ちゃんと観光ガイドに言われた通りに、隅田川を船で渡ったこともありますし、亀十のどら焼きを買うために時間をかけて並びました。当時は、スカイツリーやアサヒビールの本社ビルなどやはり有名なポイント、特徴的なシンボルに目がいっていたし、食事するにしてもネットの情報で評価が高い店、観光ガイドで特集された店などに吸い寄せられるように入っていました。それで浅草を堪能したような感覚になっていたところもありますし、もちろん楽しかったし行ってよかったなとも思うんですけども、今思えばそこには自分の意思はほぼ介在していなかったようにも思うのです。表面しか舐めていなかったのかなと思います。何度も言いますけど、それはそれで楽しかったんですが!(この作品を作成するにあたって、久しぶりに浅草寺や仲見世をカメラを持って歩きました。観光客にまぎれて写真を撮るのはとても面白かったです。この撮影の間に、外国人観光客に写真撮影を頼まれたりもしてグローバルコミュニケーションも堪能致しました。)

 そして冒頭の話に戻りますが、そんな諸々の一通りの経験をして、浅草に引っ越してきて2年。2年毎日この町で過ごしていると、見えていなかったものが見えてきます。今では、初音小路(観光客に有名なホッピー通りから程近い小さなエリア)という少しばかりディープなお店が集まる飲み屋街にも常連として顔を出せるようになったこと、食事やお酒の発見以上に、交友関係も増えました。そうしたつながりが、また新たなつながりを作って、いまだに新たな発見の毎日を送っています。僕自身お酒を飲むのが好きだし、お酒の場で人と話すのが好きなので、この街と相性がよかったのかなとも思うのですけども、もうすぐ40歳を迎える現状で、いまだに日々、新しく友達ができていくのはとても不思議な感じがします。仲良い友達と遊びに来る場所から、身内を作って楽しめる場所に変化してきています。本当に浅草にきてからは酒場でかなり勉強させてもらいました。(おかげでエンゲル係数は、こちらに越してきてから右肩上がりで増え続けていますが。)隣に座ったおっちゃんの武勇伝を聞きつつ、僕が知らなかった時代を空想したりすることもありますし、役者さんや音楽関係の人も多いので、想像すらできなかった界隈の話を普通に聞けてしまったりすることも楽しみの一つです。あとはいろんな意味でややこしい人たちもいることも確かなので、他人の姿を見て反面教師にしたり、逆にスマートだなと思う人は見習うようにしてみたりで、そうした時間が今の自分のあり方を見つめ直したりすることに役立っています。さらには過去にやんちゃしていた人が、歳を重ねて変化した話しを聞いたりしつつ、これからの自分のあり方を考えてみたりすることもあります。これを書いているつい最近もありまして、隣で飲んでいたおじさん二人組に気に入られまして、次のお店にご一緒することになりました。すると、入って30分もたたないうちに大喧嘩が勃発、仲裁役を担いつつ、店の店主に怒られるまでご一緒していました。いい歳の大人がメチャクチャに怒られるのは、情けないものがありますね。本当に気をつけなきゃなと思わせていただきました。と言いつつ、その日は僕も、後味が良くなかったので、さらにその後数件お店に行きましてきっちり飲み過ぎて帰ってきました。まったく勉強できていませんね!(ただ、実はこの文章の方にかぶせている写真は、その日最後に行ったお店で撮らせてもらった写真です。夜遅くにオープンして朝まで営業している若干入りづらい立地の玄人向けのお店ですが、店主は気さくで、気楽に楽しむことができます、珍しい日本酒を出してくれるネオ浅草バーです。やっぱりいいこともありますね)ということで、お酒はそのものの楽しみ方もありますが、お酒を囲む環境や時間から学べることは本当に多いですね。ちなみに下町界隈では、お酒の濃い目はカタメ、薄い目はやわらかめというそうです。浅草に住んで初めて知りました、とっても濃いのはカチカチとかいう使い方もします。なんか可愛らしい響きがありますよね。下町では普通だそうですが、どこからこういう風な言い回しが生まれてくるのか興味深いですね。

 僕がよく顔を出すお店は数軒あるのですけども、やはり地元の人たちで常連さんが多くて、一見お店に入るのはハードルが高そうなんですけど、店主は優しい人が多いし、隣りに座った人たちもウェルカムな姿勢が多くって、気楽に話ができるのもこの街いいなあと思うところです。みんなそれぞれに酒場放浪記の主人公で、一日に何件もはしごするのが普通なんですけども、やはりそれぞれにホームの店があるのは面白いなあと思います。(かく言う僕もホームがあります)どの店をホームにおいているかで、その人の人間性もわかるように思います。結局は店主の考え方とあっているかどうかというところが大きいと思うので、一見違いそうでもどこかしら共通しているものを持ったタイプが集まってくるのかなと実際に飲んでいて感じます。行きつけているお店にはお客さん同士気があう人が多くなるのはやはり自然なことなんですね。改めてそういう場所でいられるように、ときには襟を正して飲みに行かないとと思うわけです。安心して油断しすぎちゃうときっと粗相してしまいそうですのでね。

 浅草という街では、土日には競馬好きな人達が、昼間からお酒片手に競馬新聞を読み込んでいる風景をよく目にします。何なら朝早くからスタンバイしており、本気度合いが伝わってきます。競馬中継をテレビで流しているお店も多く、大きなレースのときには場外馬券売り場やその近所の飲み屋街は人で溢れかえっています。レース中は皆、思い思いの馬の名前や番号を声を張り上げて叫んでおり、レース終盤にはとんでもない歓声が聞こえてくる。そんなおかげで僕も少しばかり競馬をやるようになってしまいました。皆と同じ場所でその体験をしているとお祭りに近いような雰囲気を感じられますし、一体感的なものを感じられます。レースに勝ったおっちゃんにお酒をご馳走してもらうことも珍しくはないですし、別に勝ち負け関係なく、話や温度感があって一緒に過ごしていると、一杯飲んでいきなよということでやはりご馳走してもらえたりします。そうするとちょっと自分もレベル上がったかなあなんて嬉しくなったりしつつ、単純にいただけるお酒は何より美味しいので、ありがたくいただきます。そうして前回ご馳走してもらったので、今回はこちらからということで、関係性が続いていけたりもするので、終わることもなく、次行くときには誰がいるかな?とお店の扉を開けるときにはちょっとした福袋を開けるようすら感じるようになりました。今では帰省したり、どこか旅行にいったりすると、行きつけのお店や常連さんにお土産を買っていったり、もらったりすることも多くなりました、すると今度はお店からサービスをいただいたりで、そんなところにも人情の文化を感じられたりもしています。余談ですが、お酒好きなこともあったので大衆居酒屋に関する事例を調べてみました。1959年に創業した浅草駅からすぐの昼飲みができる老舗居酒屋ニュー浅草も大衆文化を表すいい例だと思います。1階がカウンター、2階はテーブル、3階は座敷と用途によって使い分けができるようになっていて、かつリーズナブルな価格設定だったことで地元民やサラリーマンや観光客に人気があったようです。畔上商事株式会社が運営しており、浅草を本店として都内に複数チェーン展開をするに至ったということ。(現在は閉店している店舗も多くなってしまったようです。)ちなみに当時の居酒屋はほとんどが個人経営だったようなのですが、1950年代後半からアメリカのフランチャイズ方式を導入し始める流れが起こったことで、チェーン店化する居酒屋が増えたという流れがあるようです。その時期が重なっていることを考えると、年代的にはニュー浅草は当時の居酒屋チェーンのはしりの企業だったとも言えそうですね。浅草には本店がありますし、まだ1度しかいけていないので、頃合い見て再訪しなくちゃという意気込みです。

 また浅草は外国人観光客も多く、いつもの行きつけのお店で飲んでいると、彼らとコミュニケーションをとる機会が少なくないので、国際交流の経験にもなるのもありがたいですね。彼らは日本人以上に日本の文化に興味を持っていることが多くて、話は自然と盛り上がる。レトロな店構えのお店で飲みたいという気持ちもあるらしく、初音小路は歴史もあって、外観も味わい深くちょうどいいスポットなのだそうだ。めちゃくちゃ下町言葉で何の話をしているかわかんないおっちゃんと外国人の方が多言語でコミュニケーションとってるのを見ると、やっぱり言葉って関係ないのかな?とも思ったりすることは多くて微笑ましい風景です。ほんとに様々な国の方が来るし、目的も皆バラバラなので話すのが楽しい。僕自身、彼らの自国の文化を踏まえたときに、浅草という街はどのように映っているのだろうか?と、いつも興味しんしんで、片言の英語で頑張っています。酔っ払っていればそれなりにコミュニケーションは取れて、楽しい時間も過ごせるのだけど、やっぱり話している内容はわかったほうがいいわけで、おかげであんなに嫌いだった英語の勉強もはじめる気持ちになりましたよね。最近は移動中などの隙間時間で少しばかり英語の勉強も始めてみたりしています。年配の方やお店に対して礼儀作法も身につける必要もあるし、英語も勉強しなくてはいけない、多様性に富むこの街では、他の飲み屋街にはない楽しみ方も多くあるような気がしています。その分、それを最大限に享受するためには、自分も変化させること、律することも必要になってきます。より楽しく、より美味しく飲むためには努力も必要なのだなあと、変なモチベーションが漲っています。

 そして浅草は飲み屋だけではなく、食事する場所もかなり充実しているのです。人気番組の孤独のグルメにも何度もドラマの舞台として登場していますね。有名なお店でいうとすき焼きの今半は特に有名だろうと思います。そのほか洋食屋さんやうなぎ、天丼、どぜうも有名ですね。東京で一番古いおにぎりや屋さんの宿六という店もあります。ちなみに若い女性やカップルを中心に浴衣を着て、食べ歩きのメンチカツ、お芋スイーツ、クレープなんかを片手に、写真を撮ることが流行っているそうですよ。散歩していても見かけない日はありませんね。いくつかのアニメでも浅草周辺が舞台になっていたことも関係しているんでしょうね。さて、そんな中でも僕は浅草グルメにおけるジャンルでは、とくに街中華がかなり充実しているのではないかと思っています。僕もこの2年で両手では余裕で足りなくなるくらいに中華を食べてきました。やはり飲み屋さんで知り合う人はグルメな人も多いですし、地元の人たちが多いので、グルメ情報には困りません。歴史あるお店も多くて、お店ごとに人気のメニューも違います。お店ごとの人気メニューを食べ分ける楽しみ方も1つだと思うけど、街中華といえば、個人的にはやはりチャーハンだと思うので、極力1回目はまずチャーハンを頼むようにしている。これが本当に特色があって面白いんですよね。ランチ向きのチャーハン、飲んだ後に食べたくなるチャーハン、これひとつでいいなと思うチャーハンに、酒のツマミになるチャーハン。なかなか全部のお店を回ることはできなそうですが、いずれ自分的におすすめチャーハンランキング浅草版でも作ってみたいという気持ちはあるので、早いうちに取り掛かります、写真はだけは撮っているので。高級店が多い一方で、毎日でも食べられる安くてうまい、こういう店が多いことも浅草グルメの魅力だと思います。

 もちろん外食だけでなく自炊もします。むしろ商店街や何でこの価格で売れるの?ってお店まであって、総じて物価は控えめだと思うので、自炊するにも結構便利がいいんですよ。(以前住んでいた場所は高級スーパーもよく見かけたけど、浅草に住んでからは一度も見かけていない、やっぱり客層が違うんでしょうかね。)あと浅草は意外と交通の便も良いんです。東京メトロ銀座線で渋谷も30分程度だし、しかも始発なのでほぼ座れるということもでかいですね。ただ、そういうこともあってか下町だけども家賃はそれなりには高いです。まあ人気エリアだから仕方ないですけどね。ただ浅草から15分程度歩けば、結構過ごしやすい価格設定になるので、浅草で出会う人たちは、お隣のエリアに住んでいる人も多いです。僕も浅草という住所はついているものの、駅までは徒歩20分かかるので、わりと中心地から離れています。ま、離れていてもそれまでの道や街並みが面白いので、全く気にならないどころか普通に移動時間も楽しいのでいいのですがね、誘惑が多いのは愛嬌と感じています。引っ越しを考えている人がいれば、ぜひ周辺地域も含めて検討されてみたらと思います。住んでみないとわからなかったろうなということの1つに深夜の浅草寺があります。浅草寺のお昼は観光客でごった返していますけども、終電が終わる時間になると随分と人の気配がなくなってきます。夜も深い時間になれば浅草寺や浅草寺につながる参道、仲見世を独り占めできることもあるんですよ。その時間の浅草寺は賑やかな喧騒から解放され、寺院の持つ本来の威厳を最大限に感じられます、夜の闇に朱色が映えてとても綺麗です。お昼よりも大きく感じられるような気さえします。ひとり贅沢な時間を味わうことができるのも、このあたりに住んでよかったなと思うことの1つです。

 そして忘れてはいけないのが、銭湯文化ですよね。台東区や墨田区は銭湯激戦区としても知られていますが、浅草はかなり銭湯が多いエリアの1つです。僕が現在住んでいる自宅からも、徒歩圏内に複数の銭湯があります。MAPを調べてみると、銭湯の場所にぴょこぴょこピンが立ちます、自宅から半径200mに4件もあります、すごいな。湯船だけの銭湯もあれば、きちんとサウナも完備している銭湯もあって、最近のサウナブームのおかげでエリア外からもわざわざ足を運んでいる印象です。混むから嫌だと思いつつ、いっぱいお客さん入ってくれないとお店が困るしなあという気持ちがいつも鬩ぎ合っています。今では僕も、行きつけの銭湯もできまして、週に1、2回は必ず汗を流しにいきます。(多い時は2、3日に1回くらいでいくときもあります)しかも家から5分の距離にあるので、湯冷めせずに帰ってこれるし、自宅と逆の方に歩けば、行きつけの飲み屋さんもあるので、風呂上りの一杯を最高のビールでキメることもできるという至高の贅沢を味わえる環境で暮らしています。百歩譲って、最高の飲み屋さんはそれぞれのエリアであるにしても、最高の銭湯が徒歩圏内にある安心感はなかなか少ないと思うし、風呂上りの最高のビール(冷えたグラスでいい塩梅に冷やしてくれた赤星の中瓶)をいただける飲み屋さんとコラボができる街はここしかないのではないでしょうか。(浅草の不動産屋さんは駅やスーパーまでの距離だけでなく、銭湯までの距離も絶対に記載したほうがいいのにといつも思っています。)足が伸ばせるお風呂に入れるのは最高だし、特にサウナは嫌なことがあったり、考え事をしたいときなどに最適で、行き詰まったら足を運んでいます。体と脳と心をすっきりさせることは、明日の自分を作る上でとても重要、是非ともこの文化は後世に残していってほしいですよね。

 僕は、和歌山出身で大阪にも住んだことがありましたが、人懐っこさはその感じに近いところはあるような気がします。東京でこれまで住んでいた地域では、(お酒の場は別だけど)知らない人との会話は強力控えるという空気感があったのだけど、こちらでは普通に近所のおばちゃんと世間話や雑談めいたことも話すことができて、地元に近いなという感じがする。最近の話では、近所の浅草高校の温水プールが期間限定で市民解放しているので、僕もよく使わせてもらっているんですけど、そこの受付のおばちゃんも2回目ですでに顔を覚えていてくれて、行き帰りの少しの時間ではあるが、必ず話しかけてくれる。特に何か意味のあることを話しているわけでもないが、話そうとする姿勢に優しさのようなものを感じられるし、自分もそういうやりとりが好きなタイプではあるので、やはり自分の性には合っているのだろうなと、泳ぐことと同じくらいに楽しみにしながらプールに通っています。

 この辺で少し浅草の歴史に触れておこうと思います。浅草は一年を通じて様々な行事やイベントで賑わっており、今でこそ観光地として栄えていますが、実は都が京都から江戸へ移る前という随分昔からその歴史は続いています。商売や文化、芸能の街として賑わいをみせ、江戸時代の歌舞伎、大正昭和の時代には、興業街として大衆娯楽の発信の地という役割を担う日本の流行の最先端をいく場所でした。日本で最初の映画館が作られたのも浅草だったようですね。そういえば娯楽の代名詞?でもある遊園地もあります。浅草花やしきは、今でも浅草の人気スポットですが、こちらの施設も歴史は古く、江戸時代末期に、牡丹と菊細工を主とした花園としてオープンしています。その後、震災や戦禍によりいったんは閉園するのですけど、1949年に遊園地として再度オープンしたという流れです。家族やカップルに人気だそうで、今でも日本最古のローラーコースターの走る音と悲鳴が聞こえています。ちなみに僕は遊園地はあまり好きではないので、まだ入ったことがありません。入ってみたい気持ちはあるのですが、なかなか足が向いてくれませんので、という他人事レベルです。花やしきの近くでよく飲んでいるので、いずれお酒の力でも借りて、ぱっと遊びにでもいきたいなと思います。さて、これらの情報や歴史の流れも、浅草に住まないと知ろうとも思わなかっただろうなという気がしています。浅草寺があって、隅田川が流れている街というレベルの解像度で止まっていたように思います。(あ、でも電気ブランが飲める神谷バーの存在だけはなぜか知っていました。一番初めに浅草に行った時には、きちんと神谷バーの門をくぐって電気ブランをいただきました!噂よりも飲みやすかった記憶です。ただ、住んでしまうと一度も行かなくなるもんですね。)そもそも僕が初めて浅草という地を意識したのは、春のうららの隅田川というフレーズから始まる瀧廉太郎の春という歌からだったように思います。隅田川が流れる街であり、情緒豊かなエリアなんだろうという印象でした。人々がゆったりと余裕を持って過ごしているイメージをあの歌から持っていたんですよね。娯楽の中心地ということもあったようなので、あながちそのイメージはまちがってなかったかもしれませんが。実際に大人になってから初めて隅田川をみたときは、まあ、こんなものかという気持ちと、滝廉太郎には何が見えていたんだろうという二つの気持ちを持ったことは覚えています。そのうち彼が感じていた何分の一かでも自分も感じ取れるようになればいいんですけどね。

 振り返ってみると観光していたときは受動的に始まっていた事が多いように思います。浅草といえばココ!という場所に誘導され、ときには行きたくなくてもせっかくだから並んでみるかと言うような感じで行動したりするものです。用意されたものを堪能すれば満足したことになるし、全てを知った気になるような節もあったかもしれないなとも思います。でも実際に住んでみると、毎日通る道ができて、景色が見慣れてくるとともに、小さな発見が増えてくる。そしてその小さな発見を確認・検証することで、足りていなかったピースが少しずつ埋まっていくような感覚を持つ。外から見ているだけではわからなかったことも、自分から中に入れば見えてくることもあるんだなと肌で感じています。なるほど、見るとはこういうことなのかなという気持ちを抱かせてくれました。一方で、延長線で視野が広がったというよりは、別の世界があるんだなという感覚の方が近いかもしれません。良くも悪くも浅草は有名だったこともあって、先入観もあったのかもしれませんが、今まで住んだ他の街よりも一番それを感じている気がします。住まないとわからないというほどのことではないかもしれませんけど、やっぱり長い時間体験したり観察したりして、初めて見えてくることってあるなと思うにいたっています。わかった気になるのはもったないですもんね。(特にメディアなんかの情報で一度も訪れたことがない場所でも情報だけはインプットされているというところは要注意なのかもしれないなと思ったりしています。見え方、感じ方が固定されてしまうような気がしてしまうので。)全部知っていると思うと傲慢になるものだし、知らないことを自覚的でいるほうが謙虚でいられると思う。知っていることが増えると、それに伴って周辺の知らないことが増えていく。だから知っていることを増やそうと言うよりも、知らないことを増やし続けようという感覚のほうが向き合い方としては正しいのかもしれない。(どこかで聞いた受け売りではあるのですけども)どれだけ頑張っても見えていない空白の全てを埋めることはできないかもしれないけども、見えている部分もその分多くなっていくはずなのだから安心して、見ることをやめずに見続けていこうと思います。浅草は、地元×観光・流行×歴史といった文化が融合する面白い街だなという印象を抱きつつ、本やテレビで紹介される姿と、実際に住んでみて感じられる姿はこんなに違うものかと、2年経つ今でも新鮮味がなくならないエリアです。全てを知ることはできないのだろうけども、さらに知らないことを増やしていくために知っていこうと思うのです。あと数年後には、この作品の情報量も増え、文字を象る写真も鮮明に見えてくるのでしょうか。そうなるように日々、謙虚に目の前の事象と向き合っていかないといけませんね。あとはお酒は飲んでも飲まれるなですね。わりと飲まれがちになるエリアだけども、それが故にいい塩梅でいられる努力をしないといけないですね。見えた気になっているのが一番の問題で、一見きちんと見えていると思うものでも、見えていない部分があると自覚的になること。それは景色や文化だけでなく、学問や人間関係、スポーツや趣味に至るまで全てに当てはまるものだとも思いますので、それを前提に物事と向き合うこと、そうすることで、私たちは本当に見ること、感じるということを実践できるのかもしれないなと思うのです。

 

現役通信制の社会人芸大生の実態と体験談あれこれ

その他、リアルな社会人芸大生の実体験等々(学費のリアルな事情や続ける人やめる人の特徴、授業の内容やレポートなど)様々まとめています。

社会人で通信で芸大というのはイメージ湧きづらいかも知れませんので、ぜひ参考にしてもらえたらと思います。

通信制の社会人芸大生の実態と体験談あれこれ
こんにちはいむりんです。このページでは、現在社会人で通信制の芸大に4年通っている僕が、同じく社会人をされてる方で「芸大に入ってみようかな」と考えている人に向けて、 「どんなタイプの人が入学してそうなのか?」 「ぶっちゃけ費用はど...

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