2022年度京都芸術大学写真コース卒業制作「ネオ浅草」

2022年度 卒業制作は次の作品を出しました。

 

 

「ネオ浅草」

私は、写真を学び始めた頃から、
一貫して「見る」とはどういうことなのかを考えている。

近代言語学の父といわれるソシュールは物の認識・知覚は、
言葉という枠組みを与えられて初めて成り立つという見方を示した。

言葉が世界を構成し認識を作るならば、新たな知見を獲得し
認識の幅を広げることで、見える世界もまた変わっていくはずである。

私達はこれまでの経験や学習によってアップデートされた
独自のフィルターを通して、現実を見ている。

2年前、私は観光地として名高い浅草に引っ越してきた。
この2年で培ったフィルターを通して、浅草を描き変えてみようと思う。


B0サイズ カラープリント

 

これまで私は、一貫して写真を通して「見るとはどういうことなのか」を考えてきました。見ることを掘り下げていくと、まず言語学の父ソシュールの記号論にたどり着きました。記号論は、人間が意味づけをする行為や意味を読み取る行為を意味するなどの研究分野です。

これは社会構成主義の考え方に非常に近いと思いました。つまり「現実」だと認識しているものは「社会的に構成されたもの」で、「現実」は目の前に存在しているわけではなく「構成されたもの」だということです。例えば、「怒り」や「悲しみ」という言葉があります。私たちはこの言葉に共通理解を持っていますが、これらは実際に形があるわけではありません。言語を操る種族の間で、この言葉はこういう意味にしようという認識を作ったからです。そして、その構成作業の多くは言語を用いて行われています。つまり私達は、社会が構成した共通認識(言語)で世界を見ています。

これに加えて、個人単位でも、これまで培ってきた経験や学習によって自身の知見は深まっています。つまり社会的な構成要素に加えて、アップデートされた自分なりのフィルターを通して、現実を見ているということです。この考え方に沿うと、写真制作には認識を形にする言語情報が不可欠です。むしろこの認識を形にする言語こそ、写真の真髄だという見方もできるのではないかという気さえしています。

私は2年前に浅草に引っ越してきました。この2年で様々な経験をしてきました。今回、多くの人がイメージするであろう浅草の姿を、自分自身のフィルターをかけてネオ浅草として発表したいと思います。

この作品は社会的な共通認識や先入観、植え付けられた記憶などが、新たな知見や体験をもとにリライトされていくという作品です。インプットが増すことによって、それに比例して文字量も増えるはずなのでその上に載せた画像の解像度も上がっていくことになります。

これは逆に言えば、私たちは、目の前の事象を一側面から見ただけで、見えた気になったり、わかった気になることへのアンチテーゼでもあります。偏った思い込みや、自分の目で見ることなく情報を鵜呑みにしてしまうことへの注意喚起です。

全てを網羅する真理のようなものは見ることはできないだろうけれど、せめて見えていないということに自覚的になり、向き合おうとする姿勢、それを続ける意識を持ちたいですね。
最後になりますが、眼前の世界は自分自身と共に更新し続けているということを観察する行いこそが「見る」ということなのではないかと思うのです。

 

現役通信制の社会人芸大生の実態と体験談あれこれ

その他、リアルな社会人芸大生の実体験等々(学費のリアルな事情や続ける人やめる人の特徴、授業の内容やレポートなど)様々まとめています。

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