アイスランドを旅していると、ふとした瞬間に「ここは知っている地球ではない」という感覚に襲われることがあった、かなりあった。真っ黒な溶岩が広がる荒野、地面から湯気が立ち上る丘、轟音を立てて吹き上がる間欠泉——そのどれもが、地球はまだ生きている、変化していると思わされた。こんなことは日本で生きてるとまず、感じない。
もちろん新しいビルが建ったり、街が統合されたり、そういう変化はあるけども、そういうのとは次元の違う話だ。映画などで地球とは異なる惑星の画を撮る時にアイスランドが舞台になることは少なくないらしい。インターステラーなんかはわかりやすい例で、まさにピッタリだと思った。

観光地として眺めているうちはただの絶景だったけど、その成り立ちを少し知ってから同じ景色を見ると、感動の質がまあ変わる。ゴールデンサークルを巡りながらガイドの説明に耳を傾け(拙い理解力で)、レイキャビク美術館でアイスランドの風土を描いた絵画を前にしていると、この島がどういう原理で存在しているのか、どういう人々が暮らしてきたのか、気になってくるじゃないですか。
帰国してから改めて調べ、旅の記憶と重ね合わせながらまとめたのがこの記事。地質・歴史・言語と守備範囲が広くなったが、それぞれがつながっているのがアイスランドという国の面白さだと思う。そりゃシガー・ロスもあんな音楽作るわけですわ。それくらい稀有で面白みのある国だと思う。ということでこれは専門家ではなく、一介の旅行者が「なぜこの景色は、なぜこの言葉は存在するのか」を学び直した記録っていう位置付け。
アイスランドはなぜ「ここ」にあるのか
まず根本的な問いを。なぜ北大西洋のど真ん中に、あれほど地質活動の活発な島が存在するのか。答えは2つの要因が重なっているからだ。
ひとつ目は、プレートの境界。地球の表面はいくつかの巨大な岩盤(プレート)に覆われており、それぞれがゆっくりと動き続けている。我らが日本もそうだね。
アイスランドはユーラシアプレートと北米プレートの境目、いわゆる「中央海嶺」の真上に位置している。2つのプレートは現在も年間約2センチのペースで離れていて、その隙間を埋めるようにマグマが噴き上がり、新しい大地が生まれ続けている。(じゃ国土大きくなってるのか?というと、海岸線の侵食や地盤の沈降もあるので単純に大きくなってるとは言えないみたい)

ふたつ目は、ホットスポット。地球のマントル深部には、周囲より温度が高い「ホットスポット」と呼ばれる場所が点在している。アイスランドはそのホットスポットの真上にある。プレート境界の火山活動だけでも十分すぎるほど活発なのに、さらにホットスポットまで重なっているため、アイスランドの地質活動は他の追随を許さないほど激しい。
この2つが重なった結果、アイスランドは「地球上で最もダイナミックに変化し続けている陸地」のひとつになったようだ。旅行者として眺めた景色は、数千年・数万年単位の地球の営みがそのまま地表に出てきたものだ。地球の歴史は約46億年、アイスランドの陸地が現在の形に近くなったのはわずか1,600〜1,700万年前で、地質学的には「最近」の出来事にすぎない。でも今もなお、島の大きさは侵食や噴火のたびに少しずつ変わり続けている。これからも少しずつ変わっていく。
シンクヴェトリルで「大陸が裂ける」を見る
ゴールデンサークルのツアーで最初に訪れたシンクヴェトリル国立公園は、プレートの境界を地上で直接観察できる世界で数少ない場所のひとつだ。
公園内には「アルマンナギャウ」という大きな裂け目地形があり、その断崖に沿って遊歩道が続いている。これは比喩でも演出でもなく、ユーラシアプレートと北米プレートが実際に離れていくことで生まれた地溝だ。両側の崖がそれぞれ別の大陸に属していると思いながら歩くと、足元の地面の意味がまるで変わってくるではないですか。私はどこに立ってるのでしょうか。この裂け目は毎年ミリ単位で広がり続けており、今この瞬間も大陸は離れていっている。

シンクヴェトリルはアイスランド語で「議会の平原」を意味する。9世紀末から930年ごろ、ノルウェーからやってきたヴァイキングたちはここに集まり、世界最古の議会のひとつ「アルシング」を開いた。地球の裂け目の脇で民主主義的な議論をしていたというのが、なんともアイスランドらしいエピソードだ。現在もユネスコの世界遺産に登録されており、自然と歴史の両面で重みのある土地だ。

溶岩・間欠泉・黒砂浜・玄武岩柱(柱状節理)
ゴールデンサークルで最も歓声が上がる(本当にワーワー言ってる)ゲイシール間欠泉地帯では、ストロックルという間欠泉が5〜10分おきに熱湯を20メートル以上吹き上げる。地下のマグマに熱せられた地下水が圧力のバランスを失ったとき、連鎖的に沸騰して一気に噴き出すというのが間欠泉の仕組み。

「ゲイシール(Geysir)」という言葉は古ノルド語の「噴き出す」に由来し、英語の「geyser」をはじめ世界各国の言語で間欠泉を指す言葉の語源になった。つまりアイスランドのこの場所の名前が、地球上の間欠泉すべての呼び名の起源になっているのだ。(ほんとにどうでもいいけど、餓狼伝説という格闘ゲームあるんですけど、主人公キャラのテリーの超必殺技にパワーゲイザーというものがありまして、そのゲイザーってゲイシールから来てるんだとアイスランドで気づいた時に鳥肌が。寒かったのもあるけど、この間欠泉がテリーのやつ以上にゲイザーしていたからだと思います、わかる人に届けばいいな)

アイスランドの浜が黒いのも驚きの1つ。砂や小石が黒い。黒い石ばっかり。これらの原料が玄武岩質の溶岩だからで、その岩が砕けて黒い砂になる。(ちなみに熱帯の白い砂浜が珊瑚や貝殻から生まれるのも同じ原理)砂浜の色はその土地の地質をそのまま映していると言える。

黒い砂浜と同じくらいに有名な自然の形態に六角形の玄武岩柱(柱状節理)がある、これは溶岩が冷えて収縮するときに亀裂が均等に入ることで自然に形成される。ちなみにこれは首都レイキャビクにある代表的なランドマーク、ハットルグリムス教会のモチーフにもなってる。同じ構造が日本でも見られます、自然が生み出す幾何学模様ですね、まじで自然ってすごい。

ヴァイキングの入植:アイスランドの人類史
さて地質の話を一度離れて、人の歴史も調べてみた。アイスランドに最初に足を踏み入れたのは、9世紀のノルウェー系ヴァイキングたちだ。874年、ノルウェーの族長イングルフル・アルナルソンが現在のレイキャビクに入植したのが、恒久的な定住の始まりとされている。
「レイキャビク(Reykjavík)」という地名はアイスランド語で「煙の立つ湾」を意味し、地熱由来の湯気が立ち上る光景を見た彼がそう名付けたという。1,000年以上前につけられた名前が今も使われているのは、感慨深い。あと響きがかっこいい。レイキャビク!きっちり族長イングルフル・アルナルソンは街の真ん中に銅像が建っていた。

入植者たちはノルウェー人だけではなかった。ケルト系のアイルランド人やスコットランド人も多く含まれており、現代のアイスランド人のDNAにはスカンジナビア系とケルト系が混在していることが研究で明らかになっているとのこと。
入植期(870年〜930年ごろ)は「ランドナームスティズ(定住の時代)」と呼ばれ、この時代の記録は「ランドナーマボーク(定住の書)」という文書にまとめられている。930年には前述のアルシングが設立され、アイスランドは独自の法と議会を持つ共和国に近い体制をとった。この時代を「自由国家時代(Commonwealth Period)」と呼び、アイスランドは約300年にわたって外部の王権に支配されない独自の統治を続けたようだ。

ノルウェーとデンマークの支配下へ
でも自由国家時代は長くは続かず、13世紀に入ると、有力な族長家同士の権力闘争が激化し、島全体が内戦状態に近くなった。この混乱を収めるため、1262年にアイスランドはノルウェー王国への服属を認め、以後約700年間にわたる外国支配の時代が始まる。
ノルウェーの支配下では、アイスランドの交易権や漁業権を制限する政策が敷かれた。もともと農業に適さない土地が多いアイスランドでは、漁業と交易が生命線だったため、これは経済的に大きな打撃だった。

転機が訪れたのは1397年、カルマル同盟の成立によってノルウェーがデンマーク王国の支配下に入ったときだ。これによりアイスランドもデンマークの支配下に置かれることになり、以後約450年間、デンマークの植民地的な扱いを受けることになる。この時がいろんな理由から暗黒時代と言われているようです。
デンマーク統治時代に最も苛烈だったのが、16〜17世紀の貿易独占政策。デンマーク王室は特定の商人にアイスランドとの交易独占権を与え、アイスランド人が自由に外国と取引することを禁じます。この政策によってアイスランドの経済は長期にわたって停滞、18世紀には天然痘の流行や火山噴火による飢饉が重なって、人口が急減するほどの危機に。

1783〜1784年に起きたラキ火山の噴火は特に壊滅的だったらしい。大量の火山ガスが噴出して農作物が枯れ、家畜が死に、人口の約5分の1にあたる約1万人が死亡したとされる。この悲劇の後、デンマーク政府の中でアイスランドの住民をデンマーク本土へ移住させるべきという議論まで起きたらしい。結局それは実施されなかったが、当時の状況の深刻さを物語っている。
19世紀になると、ヨーロッパ全体に民族主義の波が広まる中でアイスランドでも自治・独立を求める運動が高まる。1874年にデンマークから内政自治権を獲得し、1904年には自治政府が設立された。そして1944年、第二次世界大戦中にデンマークがナチス・ドイツに占領されている隙を突く形で、アイスランドは国民投票によってデンマークとの同君連合を解消し、完全独立を宣言。建国記念日は6月17日で、独立運動の父と呼ばれるヨウン・シグルズソンの誕生日らしい。

アイスランド語という奇跡の言語
アイスランドの不思議のひとつが、言語だ。現地では基本英語だけども、バスの中やフードホールのちょっとした会話の中でアイスランド語っぽい言語を聞いた。アイスランド語は現代のスカンジナビア語(統治されていた国の言語とも違う。ノルウェー語・デンマーク語とか)とも違っている。まるで別の言語。しかし実は、アイスランド語こそが9世紀の古ノルド語の姿をほぼそのまま保存した言語だそう。
入植者たちが持ち込んだ古ノルド語は、大陸(スカンジナビア)では時代とともに変化・単純化されていったけど、アイスランドは孤島だったので、外部との言語接触が少なく、古い文法構造や語彙がそのまま保たれたらしい。現代でもアイスランド人は、13世紀の「サガ(古アイスランド語で書かれた叙事詩)」をほぼそのまま読めるらしい。凄すぎる。日本でも平安・鎌倉時代の読み物なんてほとんどの人読めないですからね。島国の極み!

アイスランド語のもうひとつの大きな特徴が、外来語をできるだけ排除する「言語純化主義」の姿勢だ。新しい概念が生まれたとき、英語などから借用語をそのまま取り込む言語が多い中で、アイスランドはアイスランド語の語彙から新語を造る方針を一貫してとっているらしい。日本で言う電話、 「電気」+「話す」みたいなもんですかね。
また、面白いのがアイスランドでは人名のルール。アイスランド人は現在も姓(ファミリーネーム)を持たず、父称(パトロニミック)を使う。父親の名前に「ソン(息子)」か「ドッティル(娘)」をつけたものが「苗字」になるため、家族でも全員苗字が違うことになる。例えば「ヨウン(Jón)」という名前の父親を持つ息子は「ヨウンソン(Jónsson)」、娘は「ヨウンスドッティル(Jónsdóttir)」になる。

電話帳もファーストネーム順に掲載されているため、アイスランド人は初対面でも名前で呼び合う文化が根づいている。大統領も国民に名前で呼ばれるらしい。アルファベット表記では長くて難解に見えるが、仕組みがわかれば、わかりやすいしフレンドリーな感じがしていいかもしれない。でも日本みたいに「家」を大事にする文化とは相入れなそう。
サガ:文字に刻まれた記憶
中世アイスランドが世界の文学史に残した最大の遺産が「サガ」だ。サガは13〜14世紀に書かれた散文叙事詩で、ヴァイキング時代の英雄や族長たちの物語、アイスランドの入植期の記録、果てはグリーンランドや北アメリカへの探検記まで幅広い内容を含む。「サガ」発祥の地がアイスランドだったことは知らなかった。(日本でもサガシリーズと言われるゲームありましたね。)
特に有名なのが「ニャールのサガ」や「エギルのサガ」で、写実的な人物描写と複雑な物語構造は、現代の小説と比べても遜色がないと評されることがある。コロンブスよりも500年早くアメリカ大陸に到達したとされるレイフ・エリクソンの航海も、サガに記されている。

サガが書かれた時代は、ちょうどアイスランドが自由国家時代からノルウェーへの服属へと移行する混乱期と重なる。社会が揺らぐ時代に過去の記憶を文字に残そうとした動きが、あの膨大な文学群を生み出した。孤島という地理的条件が言語を保存したように、歴史の転換期が文学を生んだともいえる。
まとめ:地質と歴史と言語がつながる島
アイスランドという場所の面白さは、地質・歴史・言語のすべてが「孤立」というキーワードでつながっていることだと思う。
地理的な孤立がプレート境界の景観をむき出しのまま保存し、外部との言語接触の少なさが古ノルド語の姿を現代まで届け、島という閉じた環境が独自の文化と法制度を育てた。700年以上にわたる外国統治を経ながらも、言語も文化も失わずに独立を勝ち取った人々の歴史は、景観の壮大さとはまた別の種類の力強さを持っている。

ケリズ火口湖のターコイズブルーを眺めながら、スナイフェルスヨークトルの頂を仰ぎながら、レイキャビク美術館でアイスランドの光を描いた絵の前に立ちながら、自分が踏んでいる大地がどれだけの時間と力で作られたものかを少しだけ理解できた気がした。旅は、知ることで深くなる。と言ってみたくなるほどに歴史のある国であることは間違いない。

