世界遺産「熊野古道」は事前知識を入れておくともっと楽しめる!

熊野詣を行うにあたって、熊野古道の歴史について事前知識を蓄えておかないと!ということで、現在勉強中なんです。掘れば掘るほど「へーそうなんだー!」という印象。事前知識を入れておくと、楽しみの種類が増えますね。

ということで、基本的な情報から、ちょっと「あ、そうなんだ!」と思ってもらえる内容まで熊野古道の知識をまとめてみました。

熊野古道の名称とエリア

熊野古道(くまのこどう)は京都、大阪、伊勢から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に続く「道の名称」を指します。この熊野へと続く古道は「熊野街道」「くまのみち」とも言われていて、中でも保存状態の良い道を「熊野参詣道」と呼ばれているようです。この道を通って熊野三山に参詣することを「熊野詣」といわれています。

熊野古道のあるエリアは今の県においては、和歌山県、大阪府、三重県、奈良県にまたがっています。一本の道ではなく、それぞれの場所から、目的地の熊野三山を目指す感じで、いくつかの道があります。詳しくは後述します。

この熊野地域は本州でも最南端、暖かくて雨も多くて、さまざまな種類の動植物が共生する地域です。古から参詣者は熊野の美しい景色を愛でながら歩いたのではないかなと思うわけです。ワクワクしますね。

 

熊野古道の全てが世界遺産ではない

熊野古道は2004年に世界文化遺産に登録されました。この世界遺産に認定されてからぐんと認知度が上がりましたよね。数ある世界遺産の中でも「道」自体が世界遺産なのは、現在(2023年11月)この熊野古道とスペインの巡礼路の2つだけなんですよね。ちなみに僕はスペインの巡礼路も歩きました!

スペイン巡礼780km|自分探し旅行記まとめ
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ただ、熊野古道の道がすべて世界遺産に登録されたわけではないんですよね。全長は約600km、だけど世界遺産に登録されたのはその3分の1程度の200km程度。「ここからあそこまではアスファルトだから除外」ということもあるみたいなんですよ。

日経新聞のこの記事から拝借してきましたが、この地図と説明がわかりやすいですね。

以下の場合は登録要件を満たさないとして、ユネスコに申請できなかったのだとか。

  1. 昔の道が残っていない
  2. 土地所有者の同意が得られていない
  3. 文化財としてのルート確定・掘り起こしができていない

世界遺産に登録されたのは参詣道だったと確定できているところのみらしい、それはそうかとも思うけど、ぶつ切りで世界遺産というのもなんか残念ですよね。でも追加登録を狙っている動きもあるとかで是非とも頑張ってほしいなと思います。

 

熊野詣のはじまりの歴史と豆知識

熊野詣のはじまり

熊野詣のはじまりは、平安時代まで遡ります(当時は古道ではなかったでしょうけども)。平安中期に宇多法皇(法皇は出家した上皇)の熊野御幸が最初と言われています(上皇や法皇といった位の人が行う熊野詣を熊野御幸というらしいです)。

こうして皇族、貴族から始まった熊野詣では、庶民にも広まり老若男女、身分の違いを問わず大勢の人が熊野を目指したと言われています。あまりに多くの人が訪れるので、「蟻の熊野詣」と言われていたらしいです。

 

出発前の御精進で身を清める

一般民はそんなことはしなかったと思いますが、皇族などの熊野詣の出発にあたってはまず、陰陽師の卜占(字の通り占いですね)によって、「御精進(ごそうじ)」と「御進発(ごしんぱつ)」の日が決められたようです。

「御精進(ごそうじ)」とは、穢れをおとし、精進潔斎(飲食を慎み身を清める)し、般若心経を唱えたりして、旅の加護を祈願することを目的に精進屋に約1週間程度籠る行いを言います。そして出発(御進発)の日を迎えるというものです。スタートする日も厳しく決められているので、体調が悪くても、無理を押して出発したそうです。

 

熊野古道を作ったのは山奥で修行する修験者たち

当然最初から道があったわけではなく、山で修行をする修験者たちが山奥で修行を行いつつ新たな道を開拓していったそうです。というわけで彼らが道先案内人を務めたり、金銭的な余裕がない人や病弱な人たちに変わって参詣する代参なども行なっていたようです。

 

熊野詣の最高記録は後白河天皇の34回

最も多く参詣した天皇は、後白河天皇の34回。当時は回数を重ねるほどに功徳を得られるという風に考えられていたのだとか。後白河天皇は学校でも勉強しましたね、熊野詣については全く聞かされてなかったけど。すごい記録。当時の時代の天皇などは回数を競い合っている風なところもあったとか。

しかしこの記録、1年に1回行っても34年かかる。もはや年中行事化していたのではないかとする見方もあるようですね。しかも当時は宿泊や食料補給なども限らるたため、お世話係や随行人の食料やその他物資を運ぶため、数百人規模になったのだとか。1ヶ月強もの間それだけの人を拘束する熊野詣、当時の影響力すごいですね。

 

熊野古道の6つの道

熊野地域は、紀伊半島に位置していて、熊野古道とは、現在では、主に以下の6つの道を指しています。

  • 紀伊路(大阪:渡辺津 – 田辺)
  • 小辺路(高野山 – 熊野三山)
  • 中辺路(田辺 – 熊野三山)
  • 大辺路(田辺 – 串本 – 熊野三山)
  • 伊勢路(伊勢神宮 – 熊野三山)
  • 大峯奥駈道 (吉野 – 熊野三山)

しかし、元々は京都の鳥羽伏見が出発地点(そりゃ上皇や法皇が来られるのですから京都がスタート地点になりますな)、そこから淀川を下って、大阪は天満橋あたりまで、船で下ったそうです。

そして、熊野の玄関口「熊野口」まで歩き、先述した「中辺路」という道を通って、本宮大社を目指したそうです。そして、速玉大社、那智大社へと進まれたそう。

京都から熊野速玉大社までは約200km今ほど道が整っているわけもないですからね、実際はもう少しあったでしょう。そして熊野の地域を周って、そしてもと来た自宅まで帰らないといけませんからね、ざっくり往復で600kmほど、1日20km歩いたら約1ヶ月の旅路となりますね。これが熊野詣のあらましですね。

 

人どうして熊野を目指したか?

熊野エリアにおける神と仏の融合

人はどうして熊野を目指し、長い長い距離を歩いたのでしょうか?そもそも神と仏は全く異なる概念ですよね。もともと日本神話に出てくるように、日本に神は存在しているとされていました。そこに6世紀ごろ中国から仏教が伝来します。

もちろん当初は別々の存在として認識されていたのですが、平安時代の後期に「実は日本の神々は、仏様が民衆を救済するために、仮に姿を変えて現れた存在なのだ!」という垂迹思想というものが広まりました。神と一対になる仏を「本地仏」と言い、。那智大社は、千手観音。速玉大社は薬師如来が当てられています。

一方で、当時の末法思想(釈迦の死後2000年が経つと、仏の教えが衰えて世の中が乱れるという思想)が重なって、心の中で阿弥陀仏を唱えることで極楽浄土に行ける!という慣習が広まったことで、信仰に救いを求めた貴族たちが熊野に注目したようなんですよね。

なぜかと?先述したように熊野速玉大社の本地仏は、阿弥陀如来。やはり仏教においての最高の仏様といえば阿弥陀如来ですので、一度は阿弥陀如来を拝みたいということで、熊野が目指すべき聖地となったんでしょうね。

歩くことで功徳を得られる

さて、後白河上皇撰による歌謡集「梁塵秘抄」の中の歌の一節にこんなのがある。

「徒歩(かち)より参れば道遠し すぐれて山きびし馬にて参れば苦行ならず」

つまり「熊野古道は歩いていけば道中遠いし、山は険しい。でも馬に乗ったら修行にならんしなあ」という意味合い。ということは、現地でお参りすること以上に、やはりそこまでのプロセス、歩くこと自体に重きを置いていたのだとわかります。歩くことそれ自体が修行で、一歩進むごとに神仏の加護につながる。熊野に行けば救われるという流れがあったんでしょうね。

現在と違って、昔は全ての道が厳しい道のりだったでしょうし、だからこそはるばる熊野まで歩いた人が得られる加護は大きいと考えられていたんでしょうね。まさに信仰の道だと言えますね。

少し余談ですが、実際僕もスペインの巡礼路を歩いているとき、辛くないといけないみたいに思っていた節もありました。ゴールに近づく頃には、「まだ何も得られていないのに、ゴールにつきたくない!」と思ってしまうこともありました。いつの間にかゴール地点に到達するよりもそこまでのプロセス、歩くという行為、辛いしんどい体験に重きを置いていたんですよね。これだけ辛い思いをしているのだから何か得られるはずだ!という都合のいい考え。

こうした考えと同じにしてしまうと当時の人たちからは怒られそうですが、なんとなく気持ちがわかるような気がします。

 

最後に、熊野古道の勉強のため僕が読んだ本の1冊を紹介しておきます。かなり詳しい歴史や背景が書かれているので、「熊野古道は景色がきれい!空気がきもちいいー」というようなことの前に、そもそもの成り立ちや背景を知りたいという方にはおすすめだと思います!僕も知らないことがたくさん書いてありましたので、買ってよかった一冊です。中古で安く売ってることもありますよ。

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