今回、熊野古道を約280kmほど歩いた。歩いた感想は一言で言えば、再発見の旅という印象。今回は場所が日本であり、さらにガチ地元に近いところを歩くので、新鮮味というよりは懐かしさの方が強かった。そしてもう一つは苦行と信仰、その納得性について。
スペインの巡礼路は800km程度あったので、たかだか200km台だし、熊野古道の方が全然楽だろうと思っていたけども、いろんな意味でこちらの方が難度は高かったなあと思う。
ということで、歩いた道のダイジェストとざっくりな感想、そして実際に歩いてみてしんどかったこと、とは言えよかったことを5つずつまとめておきます。
今回歩いた熊野古道280kmのダイジェスト
まずは今回歩いた全体工程のまとめと歩いた道の記録です。今回の熊野古道は、紀伊路と中辺路をメインに歩きました。中辺路は世界遺産認定エリアで、熊野古道でも一番観光客が多いエリアです。紀伊路は京都からスタートした場合、中辺路を目指す上でよく使われた大阪・和歌山を歩く道。その紀伊路は大きく前半と後半の2つに分かれる印象。前半は大阪から和歌山に入るまで、後半は和歌山に入ってから中辺路に入るまでって感じです。
上記ページに熊野古道の全貌や事前知識をまとめていますので、参考にぜひ。ということで、今回歩いた道を(1)紀伊路前半、(2)紀伊路後半、(3)中辺路の3つにわけて記載しておきます。
紀伊路前半
紀伊路の前半は大阪の道。天満橋から和歌山までの約60kmの道のイメージです。都市圏を進む地域なので、基本的にアスファルトですね。幹線道路沿いなんかも歩きますし商店街の中まで歩きましたよ。
車通りが激しい国道もあるし、走り屋の漫画なんかで出てきそうな峠道も歩かないといけないので、普通に怖いんですよ。住宅街も結構通るわで、熊野古道っぽさはほとんどない。(熊野古道のイメージは森とか山のイメージだったので、何だかなあという感じだった)
熊野古道(この地域では熊野街道と呼ばれている)も、区画整備などの影響だと思うけれどぶつ切りになっていて、今歩いているのが熊野古道なのかどうなのかもわからなくなることが多かった。実際に熊野古道を歩いてると思っていた筋の隣の筋が熊野古道だったみたいなこともあってGoogleマップがないとかなり歩くのは難しいと思う。Googleマップは拡大すると通りの名前も出てくるので、にらめっこしながら歩くスタイル。
当然ながら熊野古道を歩いている人は見つからない。大きなバックパックを背負って歩いている人は皆無なので、熊野古道を歩いているんだろうなあという印象すら持たれていないと思う。基本的に道はアスファルトで、平坦な道が多く高低差は少なく歩きやすい。でも道は固いので足への負担は大きい。前半はスニーカーで歩いた方が良いと思う。僕も山用と街用の靴を分けて歩きました。
そして後々響いてくるので、運動していない人はサポーターとかつけて歩くことをお勧めします。車の往来だけは注意が必要ですね。まあ基本的に街中なので、歩くこと自体には不安はなかったけどその分地味というか面白みには欠けますね。
地図もないので、王子も見つけにくい。王子とは熊野三山に向かうまでの道中の守護を祈った場所です。地元民が在地の神を祀るために立てていた社出会ったことが多いそうです。このページが詳しいですかね。紹介しておきます。ちなみに101個も王子があるそうです。たくさんあるので、全てひっくるめて九十九王子と呼ぶのだとか。
紀伊路後半
紀伊路の後半は和歌山県に入ってからくらいのイメージ。距離的には100kmくらい。徐々に田舎の感じが出てくるし、川の水も綺麗だなあというのほほんとした雰囲気に変わる。僕のホームでもあります。
そして海南市の藤白神社から5分もすればガチ系山ルートに突入する。その日ものほほんスタイルで歩くことを想定していたけど、海南市の藤代神社から「あ、これは靴履き替えないと!」という気持ちになった。
ちなみに、実際、当時の上皇や法皇もこの神社で明日から頑張るぞということで、よくこの藤代神社で英気を養っていたらしいです。ということでたくさん王子がある中でも格上の王子扱い(五体王子という)を受けていたらしい。
その後はみかん畑の合間を越えていきます、和歌山を歩いてるなあという気持ちになります笑 地元以外の人ならば新鮮味あるんじゃないですかね。少しずつアップダウンが激しくなってきまして、冬なのに額から滝汗が出るくらいでした。
振り返ってみると、このあたりが一番面白かったようにも思う。田舎の風景や、ガチな山を歩きつつ、後半は海も見えてきたりもして。道も比較的わかりやすい(みかん畑はわかりづらかったが)のでそれなりに楽しんでいたと思う。
海が近くなってくると、魚も美味しくなってきますので、食事も楽しめるかも。ここらの工程は宿も比較的取りやすいと思いますし、交通の便もそこまで悪くないし、一番余裕あって歩きながら和歌山も堪能できるコースかもしれないなと思う。
中辺路
中辺路に入る紀伊田辺で急に外国人が多くなりました。みんな基本的にはまず紀伊田辺に集まって翌日から各々歩き始めるみたい。今のご時世の熊野古道の始まりの地みたいなことになっている感じですね。
一番人気らしい滝尻王子付近から、ウェブや本で紹介されていそうないわゆる熊野古道という景色になるのだけど、道という印象よりも山そのものだった。道は道でも獣道的な印象すら受ける。ところどころに熊野古道であることを示す立て看板もあるのだけど、ややこしい場面が出てきても、こっちの方が道っぽいなという感覚で歩いて行くしかない。人が1人通れる幅で、隣は崖というようなシチュエーションもあったりする。普通に怖い。
川も綺麗だし、緑と茶色の世界って感じが目の前に広がる。熊野エリアはほんとに自然豊かだと思う。でも先に述べたように、景色を愛でている余裕はあまりなくって、この登りはいつまで続くの?下りの石畳降りるの怖い、雨で霧も出てきたー、夕方が近づくと暗くなるし、荷物重い。。。と、ひたすらにハードな体験をして、考えるよりも必死で体を動かす日々だった。
一度、帰りのバスの時間を間違っていたことがあって、暗い峠道を歩いて帰る羽目になった。これはほんとに心細かったし、かなり焦ることになった。街灯があるわけもなく陽が沈めば闇が来るんだなと実感した。山は決して舐めてはいけないし、いつだって準備を怠ってはいけないんだなあと肝に銘じることになった。
それでもというか、それだからこそか、熊野本宮大社に到着した時は嬉しかった。熊野三山というので、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つを回る人が多いと思う。しんどいが大半だったけどもやはり到着したら達成感があったし、とても清々しい感じがした。特に何か願掛けしていたわけではなかったけども、厄年付近だったことに歩き終わってから気がついた。これだけやれば、きっとまあよい厄落としになったかなと思う。思いたい。
熊野古道を歩いてしんどかったこと
熊野古道を歩くにあたってしんどかったことは、色々あるのだけども、大きく2つに分けられそう。(1)道を歩く難度が結構高いということ、(2)巡礼者フレンドリーではないということ。それぞれ挙げていきます。
道を歩く難度が高い
まず歩く道の難度が高いこと関して。分けるといくつかあります。そもそも道がわかりづらい、アップダウンが激しい、道が険しくて危ない、ということで結構困ることが多かった。準備していなかったこと、ハードルをだいぶ低く見積もっていたこともあって、何度もすみませんでしたってなりました。
そもそも道がわかりづらい
道がわからないのは3種類って感じですね。まず紀伊路ルートの前半、大阪は熊野古道を推しているわけではないので、案内が最低限しかなかった印象。全体を通しての詳細地図もおそらくないと思われる。てなこともあって、まずどの道が熊野古道かわからずにスタートができないという難しさがありました。
次に、紀伊路ルートで和歌山に入ってからは、みかん畑で迷う。ここ道?進んでいいの?というところで迷ったり、絶妙にわかりづらい案内板で逆に惑わしてくくることもあった。畑の中なので、農道なども多くて、普通にどの道かわかないというトラップに困らせられました。
中辺路の熊野エリアでは、山道なので、足元を気にして歩いてると、道じゃないところに迷い込んでいたり、行き止まりになったこともあった。そして舗装されているわけではないので、暗くなると道だと判別できなくなると思う。実際暗い山道を歩いた時は危機感を覚えたほど。もちろん電波が入らないことも多々あるし、Googleマップも山の中まではカバーできていないので、中辺路の地図はマスト。雨も多いエリアなので、濡れないように防水の袋も用意しておいた方がいいと思う。
山道が多くてアップダウンが激しい
平坦な道は紀伊路ルートの前半(大阪)だけで、紀伊路の後半(とくに海南から有田付近)は山道が出てきたり、舗装されていても坂道が多くなってくる。中辺路に至ってはほぼ山。歩くというより登るといった方が実態に近いと思う。もちろん山は登って終わりではなくて、越えて進むので、次なる山が待っている。結構ハードな標高なところもあって、冬なのに滝汗。途中で休憩を挟まないとまず登れなかった。頂上まで登るのは嬉しいのだけども、次なる山が控えいるので降りなければならない。降りたくなさがすごい出てくる笑
下りは滑りやすいので神経を使うんですよね。石畳もあるし、今回歩いたのが冬で枯葉がすごかった。石と葉っぱ、木の根っこは滑りやすいので要注意。とくに雨が降っているとかなりな確率で滑るので、靴の準備は必須。荷物を持って歩いてるとかなり体力が削られるので、ルートと山の天気については、注意が必要ですね!
車ファーストで歩行者が危ない道
熊野古道は山道だけではなくて、歩道がなくて車がビュンビュン通る車道を歩くことも珍しくはない。歩いてる時に手に汗握るかなりの恐怖ロードな印象な道もいくつかあった。しかも峠だったり海岸線もあって、道がくねくねしていて、車から視認されにくいということもあって歩くのを車道の左側右側どちらにしましょうかといったりきたりしていることもしばしば。ちなみに峠は紀伊路、海岸線は中辺路の最後(速玉大社と那智大社を繋ぐ道の一部)にありますよ!
中辺路の山道では人が1人通れるかという幅の道は普通にある。そこから足を踏み外せば、転落するという道もあったりでこちらも注意が必要。しかも大きな荷物を持っていたりすると木に引っかかることや、坂道でバランス崩すこともあるので、結構危ないこともあった。注意されたし。
巡礼者フレンドリーではない
熊野古道は巡礼者フレンドリーではないなあという印象です。スペイン巡礼と比較してもそうだけども、割と観光地的にプロモーションしていた気がするのだけども、きちんと準備してこないと痛い目みると思います。スペインと比較しなければ、まあ田舎の山道だしこんなもんかということにはなりそうだけども、都会の人が来ると「うへ」ってなることもあるんじゃないかな。
宿が少なくて高い
巡礼者用の宿の整備がされていない。紀伊路には一つもないと思う。(熊野古道巡礼者には関係ないゲストハウスはある)中辺路にはあるにはあるのだけれども結構金額が高かったりすることが多い。気楽に何日も歩いて泊まってということはできない人が多いと思う。
紀伊路では、場所を選ばなければゲストハウスは割とあるので、時間とお金のバランスで決めると良いと思う。歩いた先にちょうどよい宿泊施設があるとは限らないので、ある程度事前の計画を立てて、宿のあたりをつけておくことは必要ですね。
僕は中辺路では、少し離れたところに宿をとってバスで移動するスタイルにしました。でもバスの時間も少なくて予定を立てづらいことがあるし、思うように工程が進まなかったりしてバスに乗れないとなると、歩いて宿まで、、、ということにもなり得る。(実際に1回なった)宿については道以上に事前調べが必要かもしれない。その日の歩く計画も無理なく立てて、確実に宿に帰るスケジュールを組んでおくことをお勧めします。
ちなみに実際に泊まった宿をまとめておきましたので、参考にどうぞ。安さ重視で決めました。
食事と水分確保に気を遣う
山道なので、食事も計画的に準備しておくことが必要になる。後半の中辺路の熊野エリアでは、いわゆる大手コンビニチェーンなどはないと思っておいた方が無難。飲食店や買い物ができる店も限られているエリアもあるので、歩く時は事前に、宿付近などでお昼ご飯を調達しておくというのが無難。(一部の宿では次の日のためのお弁当を用意してくれるところもある)
飲み物も同じくで、自販機の少ないエリアもあるので、水分は余裕を持って準備しておきたいところ。荷物に余裕があれば、栄養になりそうな果物やチョコレートなども入れておいて良いかも。冬の山は寒いので体が冷えてしまうと力も出ないですしね。
熊野古道を歩いてよかったこと
ここまでしんどかったことばかり多めに記していたけども、よかったことももちろんあります。まとめてみて、よかったことなのかどうか「?」なところもあるけれど、実際歩いてみないと気づかなかったことばかりなので、きっとよかったことなのだと思う。
「歩く」ことを再認識する
スペイン巡礼でも考えたことだったけども、歩くということは一体何なのか?どういう意味を持つのか?これを再び考えることになった。歩くことは、単純であるがゆえにいろんなことを想起させると思う。肉体的なことや精神的なこと、人生についてだったり、過去の歩みやこれからどう進んでいこうとか。今回はずっと1人で歩いていたので、工程に余裕がある時は自分とよく対話していたように思う。部屋で1人で考えているよりもずっと健康的に自己と対話できるのじゃないかと思う。
やはり自分にとっては、歩くということは「知らない世界を知る」ということなんだろうなということに今のところ落ち着いている。歩いた地域はほとんど訪れたことがある場所だったけども、車や電車で通過しただけのところや、スポット的に訪れた場所などばかりだった。
改めて自分の足で歩いて、点と点の合間にあるなんでもないなんでもあるものを見つけたりして、「すっ飛ばしてきた世界を回収した」ような感覚になった。こうした世界はいくつもある、全部を回収することはできないだろうけども、できる限り歩いて拾っていきたいなあと思うようになった。
昔の人に対してのリスペクトを感じる
素直に感じたのが、当時の方たちへのリスペクト。今回の道はかなりしんどかったとは言ったものの、それでも靴やバックパックなどの装備は充実しているし、道も歩けるように整えてくれているわけで。地図もきちんと準備されている。
平安時代とかで歩いていた人たちって、ゴアテックスとかなかったろうし(当たり前)、ブーツとかじゃなくて草履とかだよなあとか。道だってもっと険しかったろうし。Googleマップもないんだから。それできちんと歩き切ったり、毎年行く人だっていたりで素直にすごいよと思いました。
肉体の鍛え上げられ方?とかも違うんだろうし、信仰心のようなものが気持ちを支えてくれていたというのは大きく違うのでしょうけども、蟻の熊野詣って言われるくらいに大勢が熊野古道を歩いているって、もはや日本の精神性、根性やばいなと思いましたよね。僕も頑張ろうって歩いている時何度も勇気づけられました。さて、これはよかったことなのか?
信仰について考えなおす
いわゆる信仰心についてというか、そのメカニズム的なことについて考える機会になったなあという話。熊野詣が流行っていた時代はコスト(お金や時間、体力など)をかけた分だけ、苦行であることに比例して救いや功徳が得られると考えられていた節があったらしい。僕自身信仰心というものは特に持っていないのだけども、楽すぎる道を通っている時には、これじゃないんだよなあというような感覚はちょっと感じた。
非合理だけども、どこかで同じように苦しんだ分だけ達成感が増すような。現代的には信仰のためじゃないけども、自分の中にも頑張ったら報われるというような気質があるんだろうなあなどと思った。(わりと合理的なタイプだとは思うのだけども)
今の価値観ではない昔気質的な?価値観がこびりついてるのかなとか。それこそが今の(少し前の時代のか)信仰だと言えるのかもしれないなーとそんなことを感じた。苦行を行うことで、功徳を得られるというスタンスは少なからずあるだろうな。さて、こんなことを考えるようになったことはよかったことなのか?それとも。。。
ご飯が美味しい&景色が綺麗
巡礼は個人的にアメとムチという感じ。基本的に和歌山の南、紀南と呼ばれるエリアでは何を食べても美味しい。ほんとに良い店がたくさんある。それに日中頑張って歩いた分、やはりご飯は美味しくなる。喉が渇いているのかビールもいつも以上に欲してしまうのです。
まあ労働している(歩いてる)からだろうけども、良い店じゃなくても、たとえばゲストハウスのお弁当レベルでも毎食何を食べても美味しかった。空腹はいちばんのスパイスということか。
さてそんなスパイスは関係なく、やっぱりお魚は最高だった。和歌山の南の地域は魚が美味しいので、とくに後半は、今日歩き終えたらお魚食べるぞーというのが少なからずモチベーションになっていたことは間違いない(最終日は那智大社まで歩き終え、巡礼終了時には、勝浦の生マグロ食べるぞー!と心の中で唱えていた)。実際にお魚は美味しかったので、是非とも歩いたらご褒美に美味しいお刺身やお寿司を食べてもらいたいなあと思う。
景色が綺麗なのはいうまでもないことだけども、やっぱり現代において、こんなにも自然豊かな場所で過ごすことは、なかなかないかなあという印象。ただし自然豊かな場所=体力を削ってくるスポットなことが多いので、そんなにゆっくりと景色を味わっている余裕はなかったのだけども笑 でも空気も綺麗だし、誰もいない山の中で自然を感じるのはやはり一度経験してみるのはいいと思う。クマには注意。
火事場の馬鹿力の実体験
1度だけやらかした事案があった。事前の計画をあまり行わずに(だいたいがざっくりだったのだけども)その日の工程をスタートした。最初は順調だったのだけども、順調だったからこそ、いろいろ確かめもせず歩いちゃおうという勢いでズンズン進んで行った。そろそろ体も疲れて、飲み物も無くなってきていたので、今日の目標地から宿に帰るバスを確かめようとするのだけど、電波が入らない。時間もそろそろ夕方に差し掛かろうとする頃。進みながら電波が入るところを探す。ギリギリ一本たつとこで粘って時間を調べてみると、もう既に今日のバスは無くなっているらしい。
その日は湯ノ峰温泉というエリアに泊まっていたのだけども、湯ノ峰温泉に抜ける峠(これも中辺路で赤城越ルート)がちょうど出てきた。この時15時45分。だいたい山は17時には真っ暗になる。その赤城越は地図上では8kmで目安歩行時間は3−4時間となっている。当初の目的地まで歩いて、タクシーが拾えるかわからないし、電波がなかったらアウト。
ということで、この赤城越を選んだ。雨が降っているので暗くなるのも早い、そして危ない。山が暗くなってしまうまで、約1時間15分。できる限り暗くなり切る前に進んでおきたい。ということで、疲れた体に鞭打って、全速力で山を登り始めた。息切れしながら、走れるところは走って、下は滑り落ちるような感覚で進んだ。結果的には後半30分は真っ暗闇の中を進むことになったのだけども、1時間半くらいで峠を越えることができた。目安時間の半分。
途中危ないこともあったのだけども、歩いていく上での考え方も変わったりもした。(滑らないように歩くのではなく、滑った時に建て直せるよう意識して走るという感じ)暗くなるとほんとに道がわからない。暗闇で道を見分ける勘のようなものも冴えていたように思う。
遠くで民家の明かりが見えた時には本当にうれしかった。暗い山で1人、帰れるのかな?という不安を持っているのは想像以上に心細くなる、山の怖さというものを初めて知った。そしてそういう状況に置かれたとき、人間というものはすごい力を発揮できるんだなと実感した。自分ごとだけど、今思えば他人事のような気がする。もうやりたくはないけども、すごいもんだなあと。そんな気づきを得られたことは、果たしてよかったことなのか、悪かったことなのか笑
熊野古道を紀伊路、中辺路と280kmを歩いた15日間の日々の記録のまとめ
ということで、熊野古道を280km歩いたダイジェスト&しんどかったこと5つ・よかったこと5つの合計10こまとめてみました。なんかしんどい系のことが多かったと思いますけども、中辺路エリアのみを荷物軽めに天候の良い時に歩けば結構楽しいと思います。わざわざ280km歩いたり、重い荷物持って山を登る必要はありませんからね。笑
発心門王子という熊野本宮大社まで半日ほどでいけるコースが一番ハイキング的に楽しめると思います。ご自身のペースを鑑みて計画立ててもらえればと思います。以下のページでは歩いた日々の記録をまとめていますので参考にどうぞ!
ちなみにスペイン巡礼と熊野古道を歩いた人は以下のページに掲載されます。ちなみに僕は2023年12月18日のところにいます。熊野古道を歩いた証明は別に280km歩く必要はなくて、滝尻王子というところからでよいそうですよ笑
【熊野古道(紀伊路・中辺路)2週間280kmの歩き旅】
2023年12月4日から約2週間、熊野古道を280km歩いて旅をしました。ここではその旅のまとめ、僕自身の備忘録として、熊野古道巡礼(熊野詣)に関する事前知識や宿泊情報、費用、日々の記録などをまとめています。熊野古道のリアルな情報にご興味ありましたらぜひご覧ください。